明治期の試合記録とは? わかりやすく解説

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明治期の試合記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/26 04:14 UTC 版)

松崎浪四郎」の記事における「明治期の試合記録」の解説

1883年明治16年)、山岡鉄舟との音信復活する。翌1884年明治17年2月山岡要請により上京公家鷲尾隆聚道場明鏡館を預かり山岡道場春風館にも通う。3月7日宮内省済寧館河田景与渡辺昇上田馬之助らと立合う3月14日鍛冶橋にある警視庁巡査本部道場開かれた撃剣世話掛大会飛び入り出場。浪四郎強さ一同感服して上座に請じた。済寧館剣槍大会にも出場し得能関四郎警視庁)に引き分け吉田武士郎(宮内省)には勝利また、春風館で山岡立合い勝利を収めたが、その試合きっかけ山岡無刀流流儀改め竹刀を3尺8寸から3尺2寸に切り詰めた1884年明治17年8月23日鷲尾山岡結成した剣槍柔術永続社剣術教授方として参加11月8日警視庁主催第3回向ヶ岡弥生撃剣大会出場し奥村左近太敗れる。1885年明治18年4月15日済寧館御用掛に任命される7月7日伊藤博文邸での剣柔術天覧試合宮内省剣術の名誉をかけ、警視庁剣術逸見宗助立合い籠手決め勝利同年10月20日済寧館御用掛を辞職し帰郷福岡県御用掛となる。1886年明治19年9月1日福岡県書記看守副長となり、1887年明治20年12月6日まで務める。

※この「明治期の試合記録」の解説は、「松崎浪四郎」の解説の一部です。
「明治期の試合記録」を含む「松崎浪四郎」の記事については、「松崎浪四郎」の概要を参照ください。

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