明治期以前の郡とは? わかりやすく解説

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明治期以前の郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 07:25 UTC 版)

日本における郡部単位の飛地」の記事における「明治期以前の郡」の解説

常陸国信太郡河内郡隔てられ浮島村飛地となっていた。 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制施行により、河内郡統合され稲敷郡となり飛地解消下野国安蘇郡現在の日光市足尾町域が都賀郡により分断されていた。 1889年(明治22年)4月1日栃木県における町村制施行により、飛地部分上都賀郡編入され飛地解消武蔵国入間郡高麗郡隔てられ南東部北西部分断されていた。 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制施行により、高麗郡編入し飛び地解消甲斐国八代郡山梨県東八代郡田野村木賊村山梨郡1878年以降東山梨郡初鹿野村によって分断されていた。田野村木賊村隣接していない。 1878年(明治11年)12月19日 - 郡区町村編制法山梨県での施行により東八代郡西八代郡分割されるが、飛び地東八代郡継承1941年(昭和16年)2月11日 - 飛び地となっていた東八代郡田野村木賊村東山梨郡初鹿野村鶴瀬村合併して東山梨郡大和村となり飛び地解消伊豆国君沢郡田方郡駿河国駿東郡隔てられ南北分断されていた。 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制施行により、田方郡編入され飛び地解消遠江国周智郡豊田郡隔てられ南北分断されていた。 1879年(明治12年) - 豊田郡三倉村編入し飛び地解消遠江国敷知郡静岡県浜名郡)陸部では引佐郡水上では浜名湖隔てられ東西分断されていた。 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制施行により、敷知郡大部分浜名郡編入される2005年(平成17年)7月1日 - 浜名郡舞阪町雄踏町浜松市編入され飛び地解消美濃国石津郡多芸郡隔てられ北西部南東部分断されていた。 1878年(明治11年) - 北西部上石津郡南東部下石津郡となり飛び地解消近江国浅井郡陸部では伊香郡水上では琵琶湖隔てられ東部西部分断されていた。 1879年(明治12年)5月16日 - 郡区町村編制法滋賀県での施行により、東部東浅井郡西部西浅井郡となり飛び地解消紀伊国海部郡陸部では名草郡有田郡水上では紀伊水道隔てられ複数地域分断されていた。 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制施行により、名草郡統合され海草郡となり飛び地解消安芸国豊田郡南西部賀茂郡隔てられ分断されていた。 肥前国彼杵郡陸部では高来郡水上では大村湾隔てられ東部西部西彼杵半島)に分断されていた。 1878年明治11年10月28日 - 郡区町村編制法長崎県での施行により、東部東彼杵郡西部西彼杵郡となり飛び地解消肥前国高来郡西部彼杵郡によって隔てられていた。 1878年明治11年10月28日 - 郡区町村編制法長崎県での施行により、飛び地部分西彼杵郡編入され飛び地解消大隅国大隅郡鹿児島県南大隅郡肝属郡隔てられ南北分断されていた。 1887年(明治20年)4月1日 - 北大隅郡南大隅郡分割されるが、飛び地南大隅郡継承1896年(明治29年)3月29日 - 南大隅郡肝属郡編入され飛び地解消

※この「明治期以前の郡」の解説は、「日本における郡部単位の飛地」の解説の一部です。
「明治期以前の郡」を含む「日本における郡部単位の飛地」の記事については、「日本における郡部単位の飛地」の概要を参照ください。

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