明治末〜大正中期 探検登山と積雪期登山・海外登山の幕開け/会員たちの活躍とは? わかりやすく解説

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明治末〜大正中期 探検登山と積雪期登山・海外登山の幕開け/会員たちの活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 23:37 UTC 版)

日本山岳会」の記事における「明治末〜大正中期 探検登山と積雪期登山・海外登山の幕開け/会員たちの活躍」の解説

日本山岳会設立前後から大正初期ごろまでは「探検登山時代」と呼ばれ日本社会中にアルピニズム的な登山熱が高まり多く登山家たちが国内高峰目指した。この時期国内高峰はほとんど登られ、「日本アルプス探検黄金時代」) とされる1909年明治42年)夏には、吉田孫四郎日本山岳会会員)らによる剱岳登山が行われた。これは登山だけを目的とした初の剱岳登頂であった。ほかにもこの年の夏には、鵜殿正雄(日本山岳会会員)の穂高岳槍ヶ岳縦走小島烏水高頭仁兵衛らの赤石山脈縦横断など日本登山史上、画期的な記録残されている。同年これまでの山岳会」という名称を改め、「日本山岳会となった1911年明治44年)にはオーストリアレルヒ少佐によって本格的なスキー術が紹介され急速に広まったスキーの普及は、これまでほとんど無雪期限定されていた日本登山積雪期までに広げていくことになる。1919年大正8年)〜21年大正10年)にかけては本格的な海外登山試みられ時代であった加賀正太郎鹿子木員信辻村伊助いずれも日本山岳会会員)らはすでに明治末期から大正初期にかけてヨーロッパ・アルプス直に触れ、その紀行報告日本登山家たちに大きな刺激与えていた。1921年大正10年)、槇有恒(まき ゆうこう/ありつね)(4代7代会長)のアイガー東山稜の初登攀快挙は、日本人登山熱をさらに高めることになった。これと相前後して槍ヶ岳北鎌尾根前穂高岳北尾根北穂高岳滝谷剱岳八ッ峰などの北アルプス険し岩場次々と初登攀された。加えて積雪期・厳冬期の登山も本化して北アルプスの峰々が相次いで登られた。

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