辻村伊助とは? わかりやすく解説

つじむら‐いすけ【辻村伊助】

読み方:つじむらいすけ

[1887〜1923]登山家神奈川生まれ明治44年1911登山者として初めて冬の上高地入山した。箱根湯本高山植物研究行ったが、関東大震災不慮の死をとげた。著「スウィス日記」「ハイランド」など。


辻村伊助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 01:46 UTC 版)

辻村 伊助(つじむら いすけ、1886年明治19年)4月22日 - 1923年大正12年)9月1日)は、日本の園芸家登山家

人物・来歴

神奈川県小田原町(現・小田原市)に素封家の二男として生まれる[1]東京府開成中学校第一高校学校を経て[1]東京帝国大学理学部農芸化学科卒。1906年一高時代、日本初の登山団体「山岳会」に入会し[1]、登山を行い日本アルプスを踏破。1906年木曽駒ヶ岳宝剣岳タカネスミレの新産地を発見。1913年渡欧し、 翌1914年1月、ユングフラウに登頂[2]。さらに同年8月、近藤茂吉とグロース・シュレックホルンに登頂したが下山中に雪崩に遭い重傷を負う。入院先の看護師ローザ・カレンと結ばれ、1921年帰国、小田原高等女学校で英語を教える。箱根湯本に高山植物園を開いたが、1923年関東大震災で裏山が崩れ、夫人、3児と共に埋没死。3年後の1926年に遺骨が発見され、比叡山延暦寺に納骨された。

著書

脚注

  1. ^ a b c 小田原市立図書館2013『アルプスに跳んだ小田原の登山家 辻村伊助』小田原市立図書館
  2. ^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、393頁。 ISBN 4-309-22361-3 

参考文献

  • 中野啓次郎「辻村伊助伝」『スウィス日記』日本文芸社、1968

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