冠松次郎とは? わかりやすく解説

かんむり‐まつじろう〔‐まつジラウ〕【冠松次郎】

読み方:かんむりまつじろう

[1883〜1970登山家東京生まれ黒部渓谷遡行(そこう)に初め成功。著「黒部渓谷」「山渓記」など。


冠松次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 02:48 UTC 版)

冠松次郎(『アサヒグラフ』1948年8月18日号)

冠 松次郎(かんむり まつじろう、1883年明治16年〉2月4日 - 1970年昭和45年〉7月28日)は、日本登山家であり、黒部峡谷の地域研究、山岳紀行文でも知られる。東京本郷生まれ[1]

経歴

1902年(明治35年)頃より登山を開始し、奥多摩日光富士山などの山を登った。日本アルプスの初登山は、1909年(明治42年)。1911年(明治44年)、白馬岳に登り、祖母谷を流れに沿って下り、初めて黒部峡谷に入る。その後、黒部の虜となり、本流を中心として支流・尾根を踏査し、秘境黒部の谷や山の全貌を明らかにした。1917年大正6年)、早月尾根より剱岳に登攀。1918年(大正7年)には、立山一ノ越より御山谷を下降した。1919年(大正8年)は、赤石山脈聖岳にある遠山川西沢を初下降する。1925年(大正14年)、黒部川下廊下を鐘釣より平まで完全遡行(上流登山)に成功する。

その他にも、日本アルプス奥秩父の渓谷の多くを遡行し、多くの探検記録や紀行文を書き、その魅力を広く紹介、登山の中に沢登りという日本独自の分野を開いた。「黒部の父」とも呼ばれる。1953年(昭和28年)、日本山岳会名誉会員。

著書

  • 『黒部渓谷』アルス、1928年7月。 
  • 『立山群峯』第一書房、1929年5月。 
  • 『劔岳』第一書房、1929年6月。 
  • 『黒部』第一書房、1930年5月。 
    • 『黒部』修道社、1959年。 
  • 『双六谷』第一書房、1930年。 
  • 『日本アルプス大觀 立山・黒部・後立山』木星社書院、1931年。 
  • 『後立山連峰』第一書房、1931年6月。 
  • 『破片岩』耕進社、1933年6月。 
  • 『白馬連峰と高瀬渓谷』梓書房、1935年6月。 
  • 『日本北アルプス登山案内』第一書房、1936年6月。 
  • 『渓からの山旅』改造社、1937年5月。 
  • 『冠松次郎随筆 峰・瀞・ビンカ』三省堂、1939年。 
  • 『廊下と窓』三省堂、1940年12月。 
  • 『徒歩旅行の指針 附・東京近郊推薦コース』高千穂書房、1941年7月。 
  • 『わが山わが渓』墨水書房、1942年。 
  • 『雲表を行く』墨水書房、1942年12月。 
  • 『山への味到』墨水書房、1943年4月。 
  • 『紀行と随筆 渓想』山と溪谷社〈山溪山岳叢書 1〉、1946年12月。 
  • 『富士山の旅』富士箱根厚生文化協会、1948年7月。 
  • 『山の味谷の味』文徳社、1952年。 
  • 『四季のたかね』山と溪谷社〈山溪山岳新書〉、1955年4月。 
  • 『渓』筑摩書房、1962年。 
  • 『峰と渓』日本文芸社〈日本岳人全集〉、1968年10月。 
  • 『新編 山渓記 紀行集』山と溪谷社〈ヤマケイ文庫クラシックス〉、2022年。 ISBN 978-4635049597 

脚注

  1. ^ 冠 松次郎(かんむりまつじろう 1883-1970)”. 黒部市. 2020年7月28日閲覧。

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