槇有恒とは? わかりやすく解説

まき‐ありつね【槙有恒】

読み方:まきありつね

[1894〜1989登山家宮城生まれ大正10年1921アイガー東山初登攀(とうはん)に成功昭和31年(1956)には隊長としてマナスル初登頂成功した。著「山行」「マナスル登頂記」など。


槇有恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 13:34 UTC 版)

槇 有恒(まき ゆうこう、「ありつね」とも、1894年明治27年〉2月5日 - 1989年平成元年〉5月2日)は、宮城県仙台市出身の日本登山家日本山岳会設立者・会長(2期)、日本山岳協会会長・名誉会員を歴任し、ヒマラヤの8,000m峰・マナスル第3次登頂隊長として日本隊のマナスル初登頂を成功させた。近代アルピニズムの開拓者・紹介者。位階従四位文化功労者仙台市名誉市民


  1. ^ 深野稔生『燃えあがる雲 大島亮吉物語』白山書房、2021年、P24-37.
  2. ^ 深野稔生『燃えあがる雲 大島亮吉物語』白山書房、2021年、P90.
  3. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p345 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  4. ^ 立山カルデラ研究紀要第11号-芦峅ガイドの系譜p23 五十嶋一晃 2017年12月2日閲覧
  5. ^ 「絶壁と格闘十六時間、ついに登頂に成功」『大阪毎日新聞』1925年8月1日(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編pp.660-661 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  6. ^ 「山頂に残した記念のピッケル」『東京日日新聞』1925年8月9日夕刊(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編pp.661-662 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)


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