日本におけるアイゼン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 09:26 UTC 版)
日本においては登山用具としてアイゼンが外国から輸入される前から日本にも雪国の生活用品として、樵や猟師や奥山回りの役人、行者や山伏等が深雪用の輪カンジキと並行して爪数の少ない鉄カンジキを使用していた。これを現代のアイゼンに近い形で使った最初の記録は、私設気象観測所を建設したいとの意図から1895年(明治28年)に富士山に登った野中到の例である。ただこの時はよほど粗悪な鉄カンジキを使ったらしく、6合目以上では役に立たず靴底に打った釘が功を奏したという。1907年(明治40年)1月には筑波山観測所長佐藤順一と技師の筒井百平が富士山頂観測所建設を目的とし頂上付近調査のため冬期に登頂した際、四本爪の鉄カンジキを携行した。 大町の対山館主人であった百瀬慎太郎は、鉄カンジキを改良して三本爪アイゼンを考案、地元の猟師や登山者に愛用されていたが、これを槇有恒が1914年(大正3年)に針ノ木峠を越えて剱岳長次郎谷雪渓の登高に使用した記録がある。
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