津軽親足とは? わかりやすく解説

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津軽親足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/20 03:23 UTC 版)

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津軽親足
津軽親足自画像(感随寺蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 天明8年8月29日1788年9月28日
死没 嘉永2年7月30日1849年9月16日
改名 安彦、三十郎(幼名)→親足
戒名 大常院殿果徳円明大居士
墓所 東京都台東区上野の津梁院
官位 従五位下甲斐守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
陸奥黒石藩
氏族 黒田氏津軽氏
父母 父:黒田直亨、養父:津軽典暁
兄弟 黒田直英黒田直方、黒田直清、親足
泉七郎、九十郎、巳津弥、鳥居成純室、
杉浦正僖正室
養兄弟:黒田直弘
正室:松平資承娘・歌子
承保
養子:順承
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津軽 親足(つがる ちかたり)は、江戸時代後期の大名陸奥国黒石藩初代藩主。官位従五位下甲斐守。元は4000石の旗本歌道に優れていたと言われている。

略歴

天明8年(1788年)8月29日、上総国久留里藩主・黒田直亨の四男として江戸にて誕生。文化2年12月4日(1806年)、縁戚関係にあった津軽典暁の養嗣子となって家督を継いだ。この時、先々代当主でこの当時は本家弘前藩主であった津軽寧親(典暁の父、母が黒田直純(直亨の養父)の娘)より偏諱を受け、親足と改名した。

文化6年(1809年)4月5日に寧親の計らいで6000石加増されて1万石の大名となり、弘前藩の支藩である黒石藩を立藩した。文政8年(1825年)11月5日、家督を養嗣子の順徳(後の順承)に譲って隠居し、嘉永2年(1849年)7月晦日に江戸で死去した。享年62。

系譜




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