津軽藩士殉難事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/22 16:48 UTC 版)
津軽藩士殉難事件(つがるはんしじゅんなんじけん)は、江戸時代後期の文化露寇のさなか北海道知床半島西岸の斜里郡(現北海道斜里町)で発生した大量遭難事件。1807年(文化4年)に江戸幕府は北方警備のため津軽藩士や農民ら約300人を宗谷に派遣し、そのうち斜里へ移動した100人中72人が極寒と栄養不足による浮腫病により死亡し、宗谷でも30人以上が犠牲になったとされる[1]。
- ^ a b “北方警備の津軽藩士、多数犠牲の史実描く 稚内で「珈琲法要」道内初公演”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2014年10月27日)
- 1 津軽藩士殉難事件とは
- 2 津軽藩士殉難事件の概要
- 3 その後
固有名詞の分類
- 津軽藩士殉難事件のページへのリンク