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津軽信敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 09:17 UTC 版)

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津軽信敏
時代 江戸時代前期
生誕 正保2年(1646年
死没 天和3年9月13日1683年11月1日
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家綱綱吉
氏族 津軽氏
父母 父:津軽信英
兄弟 信敏、信純
正室:津軽信義娘・美与
政兕、信俗、信隣
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津軽 信敏(つがる のぶとし)は、江戸時代前期の旗本陸奥国黒石領2代当主。

略歴

初代当主・津軽信英の長男として誕生。

寛文3年(1663年)1月、15歳で家督を継ぎ2代当主となる(当時の黒石領主は交代寄合の旗本)。所領は相続時点で5000石、のち弟・信純に上野国領半分など1000石を分知した(黒石支藩、黒石別家)。

延宝2年(1674年)、父・信英の13回忌に、信英霊廟を陸奥弘前藩本家4代藩主・津軽信政と共に参拝、石灯籠などを建立した(黒石神社に現存)。天和2年(1682年)、上総大館に大館八幡宮を再興する(同地に本殿現存)。

黒石は英邁で聞こえた先代信英の治世により、業種別の町割を奨めていたが、信敏はさらに「一町一業種一年間無税のお触れ」を出すなど、商業振興に努めた。天和3年(1683年)9月13日、死去。享年38。家督は長男・政兕が相続した。

若いころから鷹狩を好んだらしいことが、黒石の神社に伝わる伝承により推測される。

系譜




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