津軽郡 (陸奥国)とは? わかりやすく解説

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津軽郡 (陸奥国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 04:05 UTC 版)

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青森県津軽郡の範囲

津軽郡(つがるぐん)は、青森県陸奥国)にあった

郡域

現在の青森市弘前市黒石市五所川原市つがる市平川市東津軽郡西津軽郡南津軽郡北津軽郡中津軽郡にあたるが、行政区画として画定されたものではない。陸奥国では最も面積の大きい郡で、南は白神山地、北は竜飛岬まで含んだ。

隣接していた郡

歴史

5分割された津軽郡の範囲(南:紺 北:薄青 中:灰色 東:緑 西:青)

1664年寛文4年)の幕府による朱印改め(『寛文印知』)に際し、弘前藩津軽信政に対して発行された朱印状で「津軽郡」との表記が見える。これは、それまで津軽地方にあった平賀郡鼻和郡田舎郡の3郡をとし、3庄を統括する郡として発足したものである。

近代以降の沿革

所属町村の変遷は東津軽郡#郡発足までの沿革西津軽郡#郡発足までの沿革南津軽郡#郡発足までの沿革北津軽郡#郡発足までの沿革中津軽郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
  • 旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。城下町は便宜的に1町として数える。(4町873村)
    • 後の東津軽郡域(1町165村) - 弘前藩(1町137村)、黒石藩(28村)
    • 後の西津軽郡域(1町220村) - 弘前藩
    • 後の南津軽郡域(1町195村) - 弘前藩(173村)、黒石藩(1町22村)
    • 後の北津軽郡域(159村) - 弘前藩
    • 後の中津軽郡域(1町134村) - 弘前藩
  • 明治4年
  • 1878年(明治11年)10月30日 - 郡区町村編制法の青森県での施行により、津軽郡のうち、青森町ほか1町137村の区域に東津軽郡が、鯵ヶ沢町ほか1町110村の区域に西津軽郡が、黒石町ほか1町178村の区域に南津軽郡が、五所川原村ほか109村の区域に北津軽郡が、弘前城下ほか1町114村の区域に中津軽郡がそれぞれ行政区画として発足。同日津軽郡消滅。

参考文献

関連項目

先代:
平賀郡鼻和郡田舎郡
行政区の変遷
1664年 - 1878年
次代:
東津軽郡西津軽郡南津軽郡
北津軽郡中津軽郡



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