地名学
地名学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:24 UTC 版)
バルカン(Balkan)という言葉はオスマン語のbalkan(森深い山の連なり)から来ている。これに関連する用語は他のテュルク系言語でも見られる。このテュルク語の単語の語源ははっきりしないが、恐らくペルシア語のbālk(泥)とテュルク語の接尾辞an(湿地の森)、またはペルシア語のbalā-khāna(巨大で高い家)と結びつけられるだろう。
※この「地名学」の解説は、「バルカン半島」の解説の一部です。
「地名学」を含む「バルカン半島」の記事については、「バルカン半島」の概要を参照ください。
地名学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 05:14 UTC 版)
wꜣs.t権杖の都市(City of the Scepter) ヒエログリフで表示 wꜣs.t ヒエログリフで表示 niw.t rs.t南の都市(Southern City) ヒエログリフで表示 iwnw-sm’南のヘリオポリス(Heliopolis of the South) ヒエログリフで表示 テーベを指す古代エジプト語での元々の名前はウォ・セ(Wo'se)、またはワセ(Wase)である。 語根になっているワス(ウアス)とは、ファラオの王笏のことであり、上端に動物の頭が付き、下端が二又に分かれた形状の長い杖である。 英語名のThebesはギリシア語形のテーバイ(Thebai)のラテン語化された名前から来ている。そしてギリシア語形(英語版)のテーバイは、デモティック・エジプト語のタ・ペ(Ta-pe)から来ている。このタ・ペと言う名前は、元々テーベ市それ自体ではなく、ナイル東岸地域にあるカルナック神殿群の名前であった(正式なエジプト語の表記は タ・オペト Ta-opet)。 早くもホメロスの『イリアス』では、ギリシア人はエジプトのテーベを百門のテーベ(Θῆβαι ἑκατόμπυλοι)と呼び、ギリシアのボイオティアにある七門のテーベ(Θῆβαι ἑπτάπυλοι)と区別していた。 新王国の終焉頃から、テーベはエジプト人からネウト・アメン(Niwt-Imn)(アメンの街)と呼ばれるようになった。アメンはムト、コンスと共に構成されるテーベ三柱神(英語版)の主神である。ネウト・アメンの名前は聖書の『ナホム書』では「ノ・アーモン」(Nōʼ ʼĀmôn נא אמון)と言う形で現れ、恐らく『エゼキエル書』と『エレミヤ書』で「ノ」(No נא)と言う名前で言及されている物も同様である。ギリシア人はアメン神をゼウス(Zeus Ammon)であると解釈(interpretatio graeca)した。従って、ネウト・アメンと言う名前はギリシア語ではディオスポリス(ゼウスの街)と翻訳された。ディオスポリスと言う名前を持つ都市は他にも複数あったため、特に区別するため、メガレー・ディオスポリス(大ディオスポリス μεγάλη Διόσπολις)と言う名前でも知られた。ラテン語形ではディオスポリス・マグナ(ラテン語: Diospolis Magna)となる。ギリシア語の名前はアレクサンドロス大王によるエジプト征服によって、マケドニア人の支配者(プトレマイオス朝)がエジプトを統治するようになった後、広く使われるようになった。
※この「地名学」の解説は、「テーベ」の解説の一部です。
「地名学」を含む「テーベ」の記事については、「テーベ」の概要を参照ください。
- 地名学のページへのリンク