日本の地名学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 08:18 UTC 版)
日本で本格的に地名を扱った最初の文献は和銅6年(713年)に編纂の詔が下った風土記である。『出雲国風土記』のみ全文が伝わり、常陸・播磨・肥前・豊後のものは断片的に、他の多くも逸文しか伝存しないが参考にはなる。 日本の地名学、地名研究は、いわゆる在野の研究者によって支えられており、また日本全国の地名を対象にした研究は多くない。 近代以降、柳田國男、鏡味完二、鏡味明克、楠原佑介などによって日本の地名研究は推進されてきたが、近年は特に歴史地理学者や中世史を中心とした歴史学者の中にも地名を重視する研究が生まれている。 これまで、日本の地名研究は、俗語源や民間語源に依存したり、地名語彙に対する認識が不足しているケースも少なくない。櫻井澄夫などはこのような俗語源、民間語源中心の地名研究を「バスガイド地名学」と呼んで批判している。 最近は歴史的な文献や古文書、古記録と、現地の小字や通称(地名)の収集、それらの地図化により、語義を考え、古文書、古記録等と照合して、歴史を解明しようとする動きが九州大学の服部英雄教授らにより進められ、成果も見られる。これに影響を受け、各地の検地帳、水帳などに記録された地名と近代以降の字名との比較による、中世、近世の歴史研究も行われている。 また国語学からは笹原宏之のように、国字を含めた漢字の地名における使用例からの研究なども進んでいる。文献目録としては、鏡味明克、楠原佑介、櫻井澄夫編の『地名関係文献解題事典』がある。 住居表示制度における新町名や、市町村合併に際した地名の決定に対し、各地方における伝統地名の復活や再評価 (re-localization) が日本においても生まれつつある。
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