本庄村
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本庄村(ほんじょうそん、ほんじょうむら)は、日本各地にあった地方自治体。
本荘[1]と表記する場合もあった。
- 本庄村 (山形県) - 山形県 南村山郡 に所在。現・上山市。
- 本庄村 (岐阜県) - 岐阜県 大野郡・揖斐郡 に所在。現・大野町。
- 本庄村 (滋賀県) - 滋賀県 高島郡 に所在。現・高島市。
- 本庄村 (京都府) - 京都府 与謝郡 に所在。現・伊根町。
- 本庄村 (兵庫県有馬郡) - 兵庫県 有馬郡 に所在。現・三田市。
- 本庄村 (兵庫県武庫郡) - 兵庫県 菟原郡・武庫郡 に所在。現・神戸市(東灘区)。
- 本庄村 (鳥取県) - 鳥取県 岩井郡・岩美郡 に所在。現・岩美町。
- 本庄村 (島根県) - 島根県 島根郡・八束郡 に所在。現・松江市。
- 本庄村 (岡山県) - 岡山県 邑久郡 に所在。現・瀬戸内市。
- 本庄村 (広島県安芸郡) - 広島県 安芸郡 に所在。現・呉市、熊野町。
- 本庄村 (広島県深安郡) - 広島県 深津郡・深安郡 に所在。現・福山市。
- 本庄村 (佐賀県) - 佐賀県 佐賀郡 に所在。現・佐賀市。
- 本庄村 (熊本県) - 熊本県 託麻郡・飽託郡 に所在。現・熊本市。
- 本庄村 (宮崎県) - 宮崎県 東諸県郡 に所在。現・国富町。
→「本庄町 (宮崎県)」を参照
関連項目
脚注
本庄村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 08:44 UTC 版)
江戸時代から明治22年にかけて存在した勝浦郡の村。徳島藩領。村高は寛文4年の高辻帳675石余、享保元年の高辻帳と天明7年の高辻帳も同高、「天保郷調」930石余、「旧高旧領」949石余うち蔵入地289石余・丈六寺領109石余、残余は奈良井長造ら藩士10名の知行地となっている。なお文化10年の阿波国村々御高都帳では887石余(民政資料)。 阿波志によれば、耕地は陸田が上等30町2反余・中等1町3反余・下等3町8反余、水田が上等30町2反余・中等23町1反余・下等11町6反余と見える。また寛保神社帳によれば、神社に十二社権現と八幡宮があり、その別当は田林寺と見える(続御古雑抄1)。ほかに丈六寺がある。 丈六寺は、白雉元年の創建といわれ、境内から平安時代の瓦が出土した。後に阿波国護7代・細川成之が金岡用兼を招聘し宗派を曹洞宗に改めて中興開山し、伽藍を整備した。寛永6年の本堂再建をはじめとして多くの再建・改修の手が加えられた。 当村では勝浦川下流の肥沃な土地を利用して米麦が多産された。幕末から明治維新にかけて米延利忠太が寺子屋を開き、30人余を集めていた(勝浦郡志)。明治4年に徳島県、同年名東県、明治9年高知県を経て、明治13年に再び徳島県に所属。明治8年に本庄小学校が開校されたが明治19年に宮井小学校に統合された。明治22年に多家良村の大字となる。
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