本庄時家
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本庄 時家(ほんじょう ときいえ、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の武蔵国児玉党の武将(実質的に児玉党本宗家を継いだ)。児玉党本宗家5代目である庄太郎家長の四男。通称は四郎。官位は左衛門尉だが、のちに解雇される。北堀地内に居館(本田館)を構え、北堀丹波守時家と称した。児玉党の庄氏から初めて本庄氏を名乗ったと考えられる人物の1人。
- ^ 『吾妻鑑』を初め、複数の系図からも、庄氏分家である時家が本庄氏を名乗った事は確実である。問題は兄家次の子息である朝次で、年代的にみると、時家と共に本庄氏を名乗った可能性もある。
- 1 本庄時家とは
- 2 本庄時家の概要
- 3 吾妻鏡における最後の記述
- 4 関連項目
固有名詞の分類
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