勢力拡大期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 13:58 UTC 版)
1586年にマタラムを建国したセノパティはパジャンを併合し、1590年代にはジャワ中東部の北岸のドゥマクやジュパラなど、イスラーム系港市国家を支配し、重要な米の輸出港を獲得した。セノパティの子、パネンバハン・セダ・クラプヤック(スペイン語版)(在位:1601年 - 1613年)は、当時の東ジャワでもっとも繁栄していたスラバヤに攻撃を開始し、クラプヤックの後継者スルタン・アグン(在位:1613年 - 1645年)が、1625年、スラバヤ、マドゥラ島を支配下に置いた。 こうしてジャワ島の中東部に覇権を打ち立てたマタラムは、ジャワ島西部のバンテン王国への進出をはかり、1628年から1629年には二度にわたって、オランダが商館を開設したバタヴィアを攻撃した。スルタン・アグンはジャワからオランダの勢力を駆逐することには失敗したものの、17世紀前半にはバタヴィアとバンテンをのぞくジャワ全島を支配下に置くことに成功した。 アグンの後を継いだアマンクラト1世(在位:1646年 - 1677年)はオランダとの関係改善をはかり、1646年に平和協定を締結し、ジャワ島東部北岸の諸港におけるオランダとの交易を独占した。国内では行財政の中央集権化を進め、これに従わない地方支配者、イスラーム指導者を次々と暗殺した。こうしたアマンクラト1世の専制に不満を抱いた地方貴族層から反乱が起こり、1677年、反乱軍の攻撃を受けて首都は陥落した。
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