龍造寺隆信勢力拡大期
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永禄6年(1563年)には、龍造寺隆信は、肥前国三根郡中野城主・馬場鑑周と、鑑周に擁立された少弐政興を攻めた。この合戦では、石井隊が先陣をつとめ、石井石見守忠次・源次郎忠修父子に率いられた一隊が決死の突入を図り、攻撃の突破口を開く武勲があった。 元亀元年(1570年)の大友親貞との今山の戦いでは、奇襲部隊の主将・鍋島直茂に石井伊予守忠信(石井一幽軒)が従ったほか、南里氏、鹿江氏、太田氏とともに筑後国との国境付近に部隊を展開し、海路侵攻してきた大友勢を迎撃・撃退した。さらに孤立した龍造寺長信が籠る蓮池城救援のため、石井氏が派兵した遊撃隊が、攻城軍の隙をついて兵糧米300俵を城内に運び込み、隆信を喜ばせた。鍋島直茂が今山で大友親貞を討ち取ると、石井蔵人忠清隊が納富信景隊に合流し、大友勢の敗残部隊の殲滅にあたった。
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