攻城軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 03:05 UTC 版)
碧蹄館の戦いで明軍を退けた日本諸将は協議を行い、漢城近傍に陣する幸州山城を攻撃することとなった。陣容は碧蹄館の戦いに参加しなかった大名を中心に、以下の通り編成された。 (以下の兵力数は戦前の動員命令数、括弧内は同年3月20日に漢城所在の点呼数) 一番小西行長 7000人(6626人) 二番石田三成 2000人(1546人) 大谷吉継 1200人(1505人) 増田長盛 1000人(1629人) 加藤光泰 1000人(1400人) 前野長康 2000人(717人) 三番黒田長政 5000人(5269人) 四番宇喜多秀家 10000人(5352人) 五番(攻撃不参加)吉川広家 不詳、毛利輝元全軍で30000人(吉川・小早川で9552人) 六番毛利元康 不詳(不詳) 吉見元頼 不詳(不詳) 小早川秀包 1500人(不詳) 七番(攻撃不参加)小早川隆景 10000人(不詳) 渡辺刀水は、朝鮮側記録では日本軍は3団に分かれて交代で攻撃してきた、県監の申景禧は3万に過ぎずと報告、吉見家朝鮮日記には3万余とそれぞれ引用をした後に、日本側は1万以下の兵力を動員したと推測している。
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