攻城戦失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:13 UTC 版)
ハンニバル・マゴの病死によって、ヒミルコがカルタゴ軍の総司令官となった。彼の最初の仕事は、兵士たちの士気を回復することであった。墓の破壊を止めた後、クロノスと関連したギリシャの神に子供を捧げ、何匹かの動物を溺死させて海に捧げた。続いて、すでに集められた材料を使って攻城傾斜路を建設し続け、さらにアクラガスへの接近を容易にするために、ヒスパス川(アクラガスの堀として機能していた)を堰き止めた。この時点で、シュラクサイのダフナエウスが、30,000人の重装歩兵と5,000人の騎兵、30隻の三段櫂船と共に包囲を破るために到着した。兵力には軽歩兵が含まれていないため、ギリシア軍はこれより多数であった可能性もある。 ヒミルコは、この軍を迎撃するために東部野営地の傭兵を用いたが、軍主力は西部の野営地に留まり、アクラガス守備兵の突出攻撃に備えた。ヒメラ川の右岸のどこかで両軍は戦闘となった(実際の戦場は不明で、議論の対象となっている)。カルタゴ軍は当初、ギリシア左翼部隊(イタリアのギリシア殖民都市)に優勢を示していたが、決定的に有利となる前に右翼のシュラクサイ軍が相対するカルタゴ軍を撃破した。その後激戦となったが、ギリシア側は最終的にカルタゴ軍に勝利した。カルタゴ軍は戦死約6,000人の損害を出して戦場から逃走した。ダフナエウスは直ちに追撃は行わず、兵士を再編成することを選んだ。 カルタゴ軍がアクラガスから撤退すると、アクラガスの住民は紀元前409年のヒメラの破壊が再現されないようにカルタゴ軍を攻撃するように訴えた。しかしスパルタのデクシップスも含め、将軍たちはこれを拒否した。反撃の恐れから追撃は行わなかったものの、シュラクサイが主導したギリシア側の勝利は、アクラガスの包囲を解くことに成功し、カルタゴ軍の東部野営地はギリシア側の手に落ちた。これにより、ギリシア側はカルタゴに対して有利な立場を得、イニシアチブを握ることができた。
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