最初の仕事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 05:38 UTC 版)
「ベンジャミン・キッド」の記事における「最初の仕事」の解説
キッドが得た最初の仕事は、1878年に働き始めた、ロンドンのサマセット・ハウスにあった内国歳入委員会(英語版)の事務員としての仕事であった。当時18歳だったキッドは、この仕事を得るために、下級公務員試験を受けて合格した。ロンドンにおけるキッドの生活は、「質素で孤独な (frugal and solitary)」ものだったが、大志を抱えた彼は、夜間学級に学び、常々読書に勤しんだ。キッドの質素さは、当時の下級公務員の俸給が、下層中流階級としては最低水準にあたる、最高でも£150 という水準に留まっていたという事実から、必要とされていたものであった。これは、辛うじて生活していけるだけの水準であり、13年間にわたって昇給の機会も与えられなかった。 1887年に、キッドは、ウェストン=スーパー=メア出身のモード・エマ・イザベル・ペリー (Maud Emma Isabel Perry) と結婚した。ふたりの間には、3人の息子たち、 フランクリン (Franklin) と、双子のジョン (John) とロルフ (Rolf) が生まれた。 キッドは、無名の事務員のままでいることには満足できなかった。彼は自分の「人生の使命 (mission in life)」として、オーギュスト・コントやハーバート・スペンサーのように、自学によって「社会的預言者 (social prophet)」となることを信念としていた 。彼は事務員として働いた17年間、この使命を果たすための準備を進めた。彼の準備は、他人の書いた本を読むことから始まった。当初は生物学の論文を書いたりしていた、在職期間後半の10年間は著書『社会の進化』の執筆に注力し、やがてこの本によって彼は国際的な名声を得ることになった。
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