最初の人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:12 UTC 版)
「ニューファンドランド島」の記事における「最初の人々」の解説
ニューファンドランドの初期の住民は、ヨーロッパ人到達時に住んでいたベオスック族(英語版)の祖先に当たる民族集団だったと推測される。ベオスックとはベオスック語で「人間」を意味した。ベオスック族の民族的起源は定かではないが、ラブラドール半島から渡ってきたと考えられる。その文化は現在では絶滅し、博物館にある歴史的・人類学的資料でしか偲ぶことができない。最後のベオスック人女性、シャナウディシト(Shanawdithit)は1829年にセントジョンズで亡くなっている。 ノース人(ヴァイキング)が「ヴィンランド」で遭遇したスクレリング(skraeling、スクレリンガー)と呼ばれる先住の人々はおそらく後のベオスック族(英語版)の祖先のことと思われる。ヨーロッパ人と北米先住民の最初の衝突は、1006年ごろ、現在のランス・オ・メドー国定史跡(ノース人らの一団が恒久的な入植地を建設しようとした海岸沿いの地)の周辺で起こっている。ノース人のサガによれば、スクレリングたちは非常に凶暴であったとされ、友好関係の構築に失敗した新来のノース人たちは結局入植をあきらめ、島を撤退した。 ジョン・カボットの1497年の航海にはじまるヨーロッパ人到来の第二波では、ベオスック族との間に交渉が成り立った。この時期の島の人口は1,000人から5,000人の間と見積もられている。 ヨーロッパ人の入植地が年間を通した恒久的なものとなり、海岸線一帯に広がるに従い、漁撈にたよるベオスック族が生計を立てられる海沿いの土地は減少していった。ベオスック族が入植者達に殺され、飢餓と入植者の持ち込んだ疫病で激減した後の19世紀はじめには、生き残りはほんの僅かであった。植民地政府は先住民との対話を開始しようとしたが、既に遅すぎた。 現在のニューファンドランド島島民は、祖先をアメリカ先住民 - その多くは大陸部に住むミックマック族(Mi'kmaq、Mi'gmaq、Micmac) - にたどることが出来る人が多い。
※この「最初の人々」の解説は、「ニューファンドランド島」の解説の一部です。
「最初の人々」を含む「ニューファンドランド島」の記事については、「ニューファンドランド島」の概要を参照ください。
- 最初の人々のページへのリンク