最初の主人・フォード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:23 UTC 版)
「ソロモン・ノーサップ」の記事における「最初の主人・フォード」の解説
ニューオーリンズの奴隷市場で、バーチの仲間だったフリーマンは、「プラット」(英: Platt)と名前の変えられたノーサップを、ルイジアナ州北部のレッド川流域にあるバイユー・バフ(英: Bayou Boeuf)で小さな農園を営む、教役者のウィリアム・プリンス・フォード(英語版)へ売却した。フォードは当時バプテスト教会を信仰していた。ノーサップの回想記では、フォードは奴隷のことをよく考える良い所有者だったと記述されている。 「私の考えでは、ウィリアム・フォードより優しく、気高く、公平で、慈悲深い人間は存在しない。彼の周りを取り囲む勢力や交際関係が、奴隷制度の底にある固有の悪を見えなくしていたのだ」"In my opinion, there never was a more kind, noble, candid, Christian man than William Ford. The influences and associations that had always surrounded him, blinded him to the inherent wrong at the bottom of the system of Slavery." — ソロモン・ノーサップ パイン・ウッズ(英: Pine Woods)にあったフォードの地所で、ノーサップはフォードの農園で取れた材木の市場価格算定を任された。彼は、材木を陸送よりも安いコストで楽に運搬できることから、材木で筏を作り、細いインディアン・クリーク(英: Indian Creek)を使って川伝いに運ぶことを提案した。ノーサップはニューヨークで筏漕ぎとして働いていた経験から水運に慣れており、フォードも彼の計画が上手く行ったことに喜んだ。またノーサップは、大工としての腕を織機の複製に活かし、フォードがこの小川に水車場を作るのを助けることになった。フォードの農園ではノーサップの技能が正しく評価されていたが、フォードは経済難に喘いでおり、借金のかたとして18人の奴隷を売り払うことになった。
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