最初の世界一周無着陸ソロフライト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/17 06:04 UTC 版)
「グローバルフライヤー」の記事における「最初の世界一周無着陸ソロフライト」の解説
2005年1月、カリフォルニア州モハーヴェ空港でチーフエンジニアのジョン・カコーと操縦士のスティーヴ・フォセットが単独テスト飛行をした後、グローバルフライヤーはカンザス州サリナのサリナ空港に移された。サリナ空港は3,750mの滑走路の再舗装をしており、長距離の離陸滑走に適していた。グローバルフライヤーは壊れやすいため、世界記録への挑戦は気流が穏やかになり、背風が良くなる2005年2月28日まで延期された。 管制センターはサリナ空港に近いカンザス州立大学サリナキャンパスに置かれた。 国際航空連盟が規定する世界一周の定義である北回帰線の距離にあたる36,787.559kmを飛ぶためには背風が欠かせない要素である。グローバルフライヤーは最低限の予備燃料で世界一周を成し遂げるように設計されている。後で分かったことだが、燃料抽気システムの設計不備により、フライトの序盤で1,200kgもの燃料を無駄にしていた。これによりスティーブ・フォセットと管制センターは日本近海の太平洋で飛行を中止するかどうかの判断を迫られることになった。スティーブ・フォセットはハワイに到達するまでその判断を先延ばしにした。この頃には風が変わり、世界一周を完遂できる見通しがたった。 バージンアトランティック・グローバルフライヤーは世界標準時刻2005年3月3日17:50(米中部時刻 13:50)にサリナに着陸し、世界一周を2日と19時間1分46秒で達成した。2014年の時点で、このクラスでは世界最速の時速550.78km/hであった。飛行距離は36,912kmで、最低限必要とされる距離とはわずか125kmの差だった。
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