最初の世界王座獲得
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1994年3月4日、「K-1 CHALLENGE」のUKF世界ライトヘビー級タイトルマッチでチャンプア・ゲッソンリット(王者/タイ)と対戦。判定勝ちし、王座獲得に成功。 1995年7月16日、名古屋レインボーホールで開催された「K-3 GRAND PRIX '95」に出場。決勝戦でイワン・ヒポリットに判定負けし準優勝となった。 1995年10月8日、大阪で行われた「カラテワールドカップ '95」に出場。決勝で後川聡之を下し優勝した。
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最初の世界王座獲得
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「スタン・ザ・マン (キックボクサー)」の記事における「最初の世界王座獲得」の解説
1990年4月にシドニーで、アンソニー・エルモアの持つ、KICKフルコンタクト世界スーパーヘビー級王座に挑戦。王座を獲得し、オーストラリア人初のキックボクシング世界王者となった。 1991年にオーストラリア、シドニーで行われたWKA世界ヘビー級タイトルマッチ(2分12R)でベテランのモーリス・スミス( アメリカ合衆国/王者)に挑み、12R僅差の判定負けを喫した。1階級下げ、12月1日にWKA世界ジュニアヘビー級タイトルマッチでローレンス・ホワイトを下し王座を獲得。 1992年にはブランコ・シカティック( クロアチア/挑戦者)とグラント・バーカー( オーストラリア/挑戦者)相手に防衛を行った。その後ミッチ・オヘロ( パプアニューギニア)にローキックで1RKOで勝利。 10月4日に来日し、「格闘技オリンピックIII カラテワールドカップ'92」のスペシャルマッチでアダム・ワット( オーストラリア)と対戦。試合中にワットが肩を脱臼し、勝利。 12月6日にオーストラリア・メルボルンで行われた「CLASH OF THE TITANS」のISKAオリエンタル世界ヘビー級タイトルマッチで、デニス・アレクシオ( アメリカ合衆国/王者)と対戦。試合開始直後に放った右ローキックがアレクシオの左ひざを直撃。アレクシオはこの一撃で立てなくなってしまい、1R15秒KO勝ちが宣告されたため、スタンが新王者になった。この試合は、キックボクシングの世界戦史上最短記録としてギネスブックにも掲載された。しかし、試合後に、アレクシオのマネージャーであるボブ・ウォールが「アレクシオの足が折れた原因はスタンの蹴りのよるものではなく、リングを移動した際に偶然に起きたものだ」と抗議し、ISKA側に無効試合とするように求めた。なお、ローキック自体は完全に有効打であり、何らルールに抵触するものではなかった。抗議を受けたISKA側は、役員を集めて試合のビデオを検証したが結論は出ず、翌年の1993年の中盤に入って「両者を再戦させる」という結論を出した。 1993年3月30日に、後楽園ホールで行われた「聖戦 〜SANCTUARY I〜」で後川聡之( 日本)と対戦。5R開始直後にいきなり右ストレートで最初のダウンを奪うと中盤に左フックで2度目のダウンを奪った。その後、レフェリーが試合の続行は危険と判断し、レフェリーストップによるスタンの5RTKO勝ちとなった。 7月25日にシドニーで行われたWKA世界スーパーヘビー級王座防衛戦でギャリー・サンドランド( イギリス/挑戦者)と対戦。2Rに左フックで2度ダウンを奪うと、3Rに右アッパー3度目のダウンを奪い、その直後に右フックを当ててKO勝ちし、防衛に成功する。
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