イワン・ヒポリット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/11 19:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動基本情報 | |
---|---|
通称 | ミスター・パーフェクト |
身長 | 178cm |
体重 | 73kg(現役時) |
誕生日 | 1964年11月7日(56歳) スリナム |
出身地 | オランダ |
スタイル | キックボクシング |
イワン・ヒポリット(Ivan Hippolyte、1964年11月7日 - )は、オランダ出身の元キックボクサー。
ラモン・デッカー、ライアン・シムソンと並んで、1990年代に同国の中量級を支えた。引退後は、ボスジムのトレーナーを務めている[1]。
概要
全盛期は1989~1994年頃のウェルター級時代。 ムエタイの当時現役王者ジョムホート・ギャットアディサック、ヴィチャーン・チョーローチャナチャイ、プラセリート・ルークマトリー、前王者シティサック・トー・アヌソンらを軒並みKOで破る快挙。 協力な左右のマシンガンフックと遠い距離からのアッパーが強力。ローキックからパンチ、ミドルキックからパンチの流れもスピーディでスムース。ムエタイ選手と互角以上の成績を残していた。 当時、ライト級から徐々に階級を上げ始めていたラモン・デッカーとの対戦が実現しなかったのは惜しまれる。
ミドル級に転級してからは、後半スタミナ切れを起こしがちになりスピードも落ちKO勝ちも半減したが、高いコンビネーションスキルと頭脳戦で好試合を沢山生み出した。
アーネスト・ホーストのコーチとしても知られ、元祖ミスター・パーフェクトと呼ばれた。
来歴
1995年7月16日、K-3 GRAND PRIX '95に出場。決勝戦で金泰泳に判定勝ちを収め優勝を果たした。あのチャンプア・ギャティソンリットにKO勝ちもしている。
1996年9月1日、K-1 REVENGE '96でジェイソン・信長に判定負け。
2000年10月22日、It's Showtimeでライアン・シムソンと引退試合を行い、KO勝ち。引退の花道を飾った。
2007年8月1日、ミルコ・クロコップのチームであるチーム・クロコップの打撃コーチを引き受け、教え子であるレミー・ボンヤスキー、ギルバート・アイブルと共にクロアチアでトレーニングを行っている。
戦績
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | ライアン・シムソン | 4R KO | It's Showtime Exclusive | 2000年10月22日 |
× | ペリー・ウベダ | TKO(スネ負傷) | バトル・オブ・アーネム(オランダ) | 1999年9月5日 |
× | ジェイソン・信長 | 3分5R終了 判定0-3 | K-1 REVENGE '96 | 1996年9月1日 |
× | サッグモンコン・シッチューチョーク | 判定 | プーミポン国王就任50周年記念興行 【WMTCミドル級タイトルマッチ】 | 1996年3月30日 |
○ | 金泰泳 | 再延長R終了 判定2-1 | K-1 LEGEND 翔 【K-3 GRAND PRIX 決勝】 | 1995年7月16日 |
○ | 後川聡之 | 再延長R終了 判定3-0 | K-1 LEGEND 翔 【K-3 GRAND PRIX 準決勝】 | 1995年7月16日 |
○ | チャンプア・ゲッソンリット | 2R 0:20 KO(左フック) | K-1 LEGEND 翔 【K-3 GRAND PRIX 1回戦】 | 1995年7月16日 |
× | オーランド・ウィット | 5R終了 判定 | オランダ | 1995年4月2日 |
○ | ファイサル・レディング | 3分5R終了 判定 | K-3 オランダ 【決勝】 | 1994年9月25日 |
○ | ペリー・ウベダ | 1R 2:46 TKO(タオル投入) | K-3 オランダ 【準決勝】 | 1994年9月25日 |
○ | アンドレ・マシュールス | 3分3R終了 判定 | K-3 オランダ 【1回戦】 | 1994年9月25日 |
○ | 吉鷹弘 | 3分5R終了 判定3-0 | K-1 GRAND PRIX '94 【スペシャルワンマッチ】 | 1994年4月30日 |
脚注
- ^ “RENAの相手はオランダの女子キック界の超新星”. eFight (2014年11月14日). 2018年3月22日閲覧。
関連項目
固有名詞の分類
- イワン・ヒポリットのページへのリンク