レミー・ボンヤスキー
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レミー・ボンヤスキー(Remy Bonjasky、1976年1月10日 - )は、スリナム共和国パラマリボ出身のオランダ人キックボクサー。バックボーンはムエタイ。チームボンヤスキー所属。元ABNアムロ銀行勤務の銀行員という異色の経歴を持つ。
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- ^ レミー・ボンヤスキー、世代交代マッチで失神KO負け 3.23グローリーロンドン大会 スポーツナビ 2013年3月25日
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- ^ 5代目格闘ビジュアルクイーン登場!当時のK-1の裏側をぶっちゃける。 魔裟斗&武蔵チャンネル ムサマサ! 2021年7月24日
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- ^ 【Dynamite!!】12・31バンナ、左腕は問題なし「ハント、激しく殴り合おうじゃないか」 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年12月11日
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- ^ len dansen op het IJs"] 2011年2月4日 グラマー (オランダ語)
- 1 レミー・ボンヤスキーとは
- 2 レミー・ボンヤスキーの概要
- 3 評価
- 4 2度にわたる名誉賞の受賞
- 5 獲得タイトル
レミー・ボンヤスキー
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バダは彼を最も嫌いなファイターに挙げている。理由はボンヤスキーが初優勝した2003年のWORLD GPは、ホースト、バンナ、マーク・ハント、ステファン"ブリッツ"レコ、ミルコ・クロコップら当時の主力選手がことごとく欠場したためレベルが低かったこと、ボンヤスキーが連覇を達成した2004年のWORLD GPはボンヤスキーvsホースト戦を初めとして疑惑の判定が多かったことなどが原因である。また公式サイトのインタビューでは「レミーはチャンピオンのくせに裏では対戦相手を選んで逃げ回っている」とレミーが嫌いな理由を述べ、「レミーはフェイク王者だ!」と強く批判している。また、2004年には同年のK-1 WORLD GP王者レミーを抑えてバダがオランダ格闘技界の年間MVPを受賞したこともバダの意見の正当性を裏付ける要素として主張している。K-1 WORLD GP 2008 FINALでは試合中にボンヤスキーへの嫌悪感が爆発して倒れたボンヤスキーに追い討ちのパンチと踏みつけ攻撃をして反則負けし、さらに試合後も自分が着けていたグローブを外してボンヤスキーに向かって投げつける暴挙に出た。その上大会直後の会見では「レミーに(反則の)ダメージはなかったはず。優勝が決まった途端、立ち上がって感動的なマイクアピールをしやがっただろ。奴は主演男優賞を受賞したんだ」と吐き捨てていた。また、彼の戦いについて「レミーは全てが教科書通りだ。K-1 WORLD GP 2008 FINALの決勝戦では反則されるのを待ってましたと言わんばかりさ」と語り、バダはアーツ、ホースト、バンナを真の『戦士』と称する一方で、「レミーは『選手』だが、『戦士』じゃねえ」と酷評している。
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