麦島城
麦島城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 15:27 UTC 版)
詳細は「麦島城」を参照 宇土城主となって古麓城を廃した小西行長は、家臣の小西行重に命じて球磨川の三角州に総石垣造りの麦島城を築城させた。麦島の地は北西側が大きな入江となっており、後に開削された前川によって中洲となった。平城の中でも水城(みずじろ)と呼ばれる水運・水利を最大限に活用した特異な城で、船で直接海からも出入りできたと考えられている。豊臣秀吉の直轄地とされ貿易港徳渕津が近くにあって、海上交通の要所であった。天正20年(1592年)6月、文禄の役の間隙を縫って梅北一揆が麦島城に攻め寄せたが撃退している。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに敗れた行長が刑死し、小西家は改易となった。球磨郡・天草郡を除く肥後52万石を与えられた熊本城主加藤清正は、重臣加藤正方(片岡正方)を城代として麦島城に入れた。元和の一国一城令によって熊本藩内の南関城・内牧城・佐敷城などが取り壊されても、麦島城は例外的に存続が認められていたが、元和5年(1619年)の大地震のために倒壊し廃城となった。
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