南北朝・室町・戦国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 06:26 UTC 版)
「川崎市の歴史」の記事における「南北朝・室町・戦国時代」の解説
枡形城も小沢城も、重成・重政の時代には戦場として使われた記録はなく、南北朝時代に入った1351年(正平6年/観応2年)に、足利尊氏の弟直義が、尊氏と対立した時に小沢城を前線基地として使用した記録がある。枡形城が最初に文献に登場するのは、戦国時代の1504年(永正元年)の立河原の戦いにおいてで、上杉顕定と戦った伊勢宗瑞(北条早雲)の拠点として登場する。 丸子は渡船場として拓けた村で、戦国時代にも往来は盛んであった。世田谷地域が拓けて江戸と小田原が直結する矢倉沢往還ができると、二子の渡しが重要な渡船場となった。
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