南北朝以後とは? わかりやすく解説

南北朝以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:33 UTC 版)

鹿島氏」の記事における「南北朝以後」の解説

鎌倉幕府倒れ南北朝時代になると、鹿島氏北朝方について功績があった。そこで、足利氏鹿島氏当主鹿島神宮の惣大行事職に補任し、代々世襲していくことになったまた、併せて鹿島氏当主従五位相当官(おもに受領)に任官するうになる。『鹿島治乱記』によると、幼少にして鹿島氏家督継いだ鹿島義幹は姦臣を近づけ、暴政布いたために、家老たちが示し合わせて近隣江戸氏や行方氏の兵を鹿島入れ謀反起こした作者は、鹿島義幹による鹿島城改築を、秦の始皇帝阿房宮造営なぞらえ原因ひとつとしている。 実際鹿島城中世城郭としては尋常な規模ではなかったらしい。義幹は700名の兵とともに鹿島城にたてこもったが、相手3000名をこえていた。そこで、鹿島家親戚である、東の両氏が言うには、「この城はまだ改築中であり、十分な防衛ができるとは思えません。ひとまず房総退き下総加勢をまって情勢立て直し図ってどうでしょう」と提案した林氏東氏将軍家直臣であって、義幹に意見できる身分であった。義幹もこれを無下にはできなかった)。 義幹は最初逡巡したが、下総東城須賀山城のことと思われる東氏居城現在の千葉県東庄町)に退いた家老たちは義幹の姪を大掾氏男子めあわせ新たな当主とした(この姪は江戸氏当主の姪にもあたるので江戸氏外圧受けて義幹を追放した勢力には好都合であった。)。義幹は東城で、機会伺っていたが、同族島崎氏が流した今こそ鹿島奪回する好機である」と嘘の情報真に受け再起をはかるべく、東城から出撃し、現在の茨城県鹿嶋市高天原上陸し城方もこれを迎えうって合戦となった。 これは高天原合戦として知られている。この戦いにおいては松本備前守塚原卜伝のような剣豪参加した鹿島城皮肉にも義幹の改築によって、非常に堅固になっていた。しかし義幹はこの合戦において討ち死にし、義幹方の兵は東城引き上げていった。義幹は戦死したが、義幹の孫治幹(治時)は鹿島家当主につくことができた。 ところが、鹿島氏戦国時代後期になると、3度にわたる内紛起こした上に急速に衰退する永禄12年1569年3月鹿島治幹(治時)の次男・氏幹と三男・義清が家督巡って争い、氏幹は千葉氏の、義清は江戸氏援軍受けた。氏幹は一時義清を鹿島から追放したものの、10月8日になって家臣によって暗殺されたため、家督は義清が継承して江戸通政の娘を娶って江戸氏との同盟強化した天正7年1579年)頃から鹿島氏家臣内部争い深刻化してきたが、天正9年2月13日になって義清が重臣林氏殺害されたために再び家督争い発生する千葉氏にあった治幹(治時)の子である貞信(七郎)と清秀六郎兄弟千葉氏一門である国分氏支援受けて鹿島復帰を図るが、同年5月になって江戸重通が自ら鹿島攻めてこれを放逐。翌天正10年3月27日になって江戸重通は治幹(治時)の末子である通晴を当主擁立した天正14年1586年になって鹿島貞信・清秀兄弟再度鹿島攻めて2月25日に通晴を自害追い込み、貞信が当主となる。これに対して江戸氏は翌天正15年1587年になって鹿島攻めて一時鉾田城を攻め落としたものの、江戸氏についた鹿島氏重臣が貞信に切り崩されたために敗退する。貞信は妹を国分胤政に嫁がせたものの、天正17年1589年)に死去清秀鹿島氏継いだ。これによって従来佐竹氏江戸氏鹿島氏の関係にあって北条氏側に立っていた鹿島氏姿勢が、北条氏千葉氏鹿島氏へと変更されることになる。 ところが、小田原の役後に、常陸南部安堵獲得した北部大名佐竹氏鹿島氏当主清秀か)を他の常陸南部地頭たちと一緒に謀殺し、軍を鹿島差し向けた鹿島軍も善戦したが、当主不在もあってか落城した。 徳川氏の代になると、鹿島氏の子孫は下総落ち延びていたので、旧家臣たちが幕府嘆願し、家の再興願った徳川家康はこれを許し鹿島大行事家として存続することになった石高200石。なお、鹿島氏一族は、庶子等も含めると、旗本になったもの、水戸藩藩士になったもの、高松藩藩士になったもの(高松藩水戸家分家のため)、帰農したもの多岐に渡る。

※この「南北朝以後」の解説は、「鹿島氏」の解説の一部です。
「南北朝以後」を含む「鹿島氏」の記事については、「鹿島氏」の概要を参照ください。

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