塚原卜伝とは? わかりやすく解説

つかはら‐ぼくでん【塚原卜伝】

読み方:つかはらぼくでん

[1489〜1571]室町後期剣客常陸(ひたち)の人。卜伝流新当流)の祖。上泉伊勢守新陰流学び流派成したのち諸国歴遊してその弘布努めた足利義輝(あしかがよしてる)・北畠具教(きたばたけとものり)らを指南したという。


塚原卜伝

作者柴田錬三郎

収載図書風雲稲葉
出版社富士見書房
刊行年月1987.5
シリーズ名時代小説文庫

収載図書忍者からす―立川文庫
出版社集英社
刊行年月1989.3
シリーズ名集英社文庫

収載図書剣豪八番勝負
出版社富士見書房
刊行年月1995.12
シリーズ名時代小説文庫

収載図書忍者からす
出版社ランダムハウス講談社
刊行年月2008.4
シリーズ名時代小説文庫


塚原卜伝

作者鷲尾雨工

収載図書日本剣豪
出版社富士見書房
刊行年月1992.11
シリーズ名時代小説文庫


塚原卜伝

作者安西篤子

収載図書日本剣豪列伝 1
出版社福武書店
刊行年月1995.1
シリーズ名福武文庫

収載図書人物日本剣豪伝 1 上泉伊勢守・塚原卜伝ほか
出版社学陽書房
刊行年月2001.4
シリーズ名人物文庫


塚原卜伝―飯綱使い

作者津本陽

収載図書剣豪血風録
出版社PHP研究所
刊行年月2007.7
シリーズ名津本陽武芸小説集


塚原卜伝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/03 14:29 UTC 版)

 
塚原 卜伝
塚原卜伝像(茨城県鹿嶋市
時代 戦国時代
生誕 延徳元年(1489年
死没 元亀2年2月11日1571年3月6日
享年83
改名 吉川朝孝(幼名) → 塚原高幹 → 卜伝(
別名 通称:新右衛門、土佐守、土佐入道
戒名 宝剣高珍居士
墓所 茨城県鹿嶋市須賀の梅香寺
主君 鹿島景幹 → 義幹
氏族 吉川氏塚原氏
父母 父:吉川覚賢
養父:塚原安幹
兄弟 吉川常賢、卜伝
妙(塚原安義の娘)
幹重
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塚原 卜伝(つかはら ぼくでん)は、日本戦国時代剣士兵法家。父祖伝来の鹿島神流(鹿島古流・鹿島中古流)に加え、養父祖伝来の天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新當流を開いた。

生涯

武蔵塚原試合図(月岡芳年画)

鹿島神宮の神官で大掾氏の一族鹿島氏の四家老の一人である卜部覚賢(吉川覚賢あきかた)の次男として常陸国鹿島(現-鹿嶋市宮中)に生まれる[1]幼名朝孝ともたか[1]。時期は不明だが、後に覚賢の剣友塚原安幹(塚原新右衛門安幹しんゑもんやすもと)の養子となる。同時に高幹たかもととし、新右衛門高幹と改めた[1]塚原氏本姓平氏で、鹿島氏の分家である。のちに、土佐守(とさのかみ)、または土佐入道とも称した[1]。卜伝は号で、実家である吉川家の本姓の卜部うらべを由来とする[1]

実父・覚賢からは鹿島古流(鹿島中古流とも)を、義父・安幹からは天真正伝香取神道流をそれぞれ学んだ[1]。『関八州古戦録』『卜伝流伝書』によれば、松本政信の奥義「一之太刀(ひとつのたち)」も養父の安幹から伝授されたという(松本から直接学んだという説、卜伝自身が編み出したとする説[1]もある)。やがて武者修行の旅に出て、己の剣術に磨きをかけた。卜伝の弟子である加藤信俊の孫の手による『卜伝遺訓抄』[注釈 1]の後書によると、その戦績は「十七歳にして洛陽清水寺に於て、真剣の仕合をして利を得しより、五畿七道に遊ぶ。真剣の仕合十九ヶ度、軍の場を踏むこと三十七ヶ度、一度も不覚を取らず、木刀等の打合、惣じて数百度に及ぶといへども、切疵、突疵を一ヶ所も被らず。矢疵を被る事六ヶ所の外、一度も敵の兵具に中(あた)ることなし。凡そ仕合・軍場共に立会ふ所に敵を討つ事、一方の手に掛く弐百十二人と云り」と述べられている。よく知られている真剣勝負に川越城下での梶原長門との対決がある。卜伝は諸国を武者修行したが、その行列は80人あまりの門人を引き連れ、大鷹3羽を据えさせ、乗り換え馬も3頭引かせた豪壮なものであったと伝えられる[1]

弟子には唯一相伝が確認される雲林院松軒(弥四郎光秀)のほか、諸岡一羽[1]真壁氏幹(道無)[1]斎藤伝鬼房(勝秀)[1]ら一派を編み出した剣豪がいる。また、将軍にもなった足利義輝[1]足利義昭[1]、伊勢国司北畠具教[1]や武田家家臣山本勘助[1]にも剣術を指南したという。また、足利義輝と北畠具教には奥義である「一之太刀」を伝授したとされている。

上記の通り「幾度も真剣勝負に臨みつつ一度も刀傷を受けなかった」などの伝説により後世に剣聖と謳われ、講談の題材として広く知られた。著名な逸話のひとつで勝負事にまつわる訓話としてもよく引き合いに出されるものに、甲陽軍鑑』に伝わる[要出典]「無手勝流」がある。この中で、卜伝は琵琶湖の船中で若い剣士と乗り合いになり、相手が卜伝だと知ったその剣士が決闘を挑んでくる。彼はのらりくらりとかわそうとするが、血気にはやる剣士は卜伝が臆病風に吹かれて決闘から逃れようとしていると思いこみ、ますます調子に乗って彼を罵倒する。周囲に迷惑がかかることを気にした卜伝は、船を降りて決闘を受けることを告げ、剣士と二人で小舟に乗り移る。そのまま卜伝は近傍の小島に船を寄せるのだが、水深が足の立つ程になるやいなや、剣士は船を飛び降り島へ急ごうとする。しかし卜伝はそのままなにくわぬ調子で、櫂を漕いで島から離れてしまう。取り残されたことに気付いた剣士が大声で卜伝を罵倒するが、卜伝は「戦わずして勝つ[注釈 2]、これが無手勝流だ」と言って高笑いしながら去ってしまったという。

若い頃の宮本武蔵が卜伝の食事中に勝負を挑んで斬り込み、卜伝がとっさに囲炉裏の鍋の蓋をにして武蔵の刀を受け止めたとする逸話があるが(右上記の月岡芳年錦絵などで知られる)、実際には武蔵が生まれるよりも前に卜伝は死んでいるため、卜伝と武蔵が直接出会うことは有り得ず、この逸話は全くの作り話である。

晩年は郷里で過ごし、『鹿島史』によれば卜伝は元亀2年(1571年2月11日に死去したとされる。享年83。『天真正伝新当流兵法伝脉』では鹿島沼尾郷田野(現鹿嶋市沼尾)の松岡則方の家で死去としている。墓は豊郷村須賀塚原(須賀村、現・鹿嶋市須賀)の梅香寺にあったとされるが同寺は焼失し、墓のみが現存している[1]。法号を宝険高珍居士(ほうけんこうちんこじ)[1]位牌は墓地近くの真言宗長吉寺にある[1]。幕末に活躍した山岡鉄舟は卜伝の子孫[2]

門下

伝承上弟子とされる人物も含む

登場作品

書籍

  • 池波正太郎『卜伝最後の旅』角川グループパブリッシング、1980年
  • 津本陽『塚原卜伝十二番勝負』講談社、1983年
  • 中山義秀『塚原卜伝』徳間書店、1989年
  • 峰隆一郎『日本剣鬼伝 塚原卜伝』祥伝社、1993年
  • 石ノ森章太郎『塚原卜伝』小学館、1996年
  • 矢作幸雄『無敗の剣聖 塚原卜伝』講談社、2011年

テレビドラマ

脚注

注釈

  1. ^ 卜伝自身が詠んだとされる「卜伝百首」の他、沢庵宗彭による序、加藤信俊の孫(本名不詳)による後書によって構成される伝書。正確な成立年代は不明だが、寛永年代後半以降と推測される。
  2. ^ 孫子』謀攻篇第三に曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 保立謙三 著、茨城新聞社編 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年、706-707頁。「塚原卜伝」 
  2. ^ 広報 うしく”. www.city.ushiku.lg.jp. 2024年12月3日閲覧。

関連項目


塚原卜伝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 00:33 UTC 版)

SENGOKU」の記事における「塚原卜伝」の解説

信綱と並び称せられる老剣豪突如日本一剣豪の座を確定させたい思い立ち、信綱をつけ狙う八十歳代で剣の腕は衰えていないが、惚けかけている。

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