真壁氏幹(まかべ うじもと) 1550~1622
真壁氏幹
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真壁 氏幹(まかべ うじもと、天文19年8月2日(1550年9月12日) - 元和8年3月7日(1622年4月17日))は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。佐竹氏の家臣。常陸国真壁城主。本姓は平氏。官職は安芸守。真壁久幹の子。弟に義幹がいる。暗夜軒。
- ^ 中根正人「戦国期の東関東ー真壁氏と佐竹氏の関係を中心に」戦国史研究会 編「戦国時代の大名と国衆 支配・従属・自立のメカニズム』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-308-4 P86-89.
- ^ 中根正人「戦国期の東関東ー真壁氏と佐竹氏の関係を中心に」戦国史研究会 編「戦国時代の大名と国衆 支配・従属・自立のメカニズム』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-308-4 P92.
- ^ a b 真壁町史編さん委員会『真壁町史料 中世編4』真壁町 2003年
- ^ 茨城県史 1986, p. 323.
- ^ 中根正人「戦国期の東関東ー真壁氏と佐竹氏の関係を中心に」戦国史研究会 編「戦国時代の大名と国衆 支配・従属・自立のメカニズム』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-308-4 P77-78.
- ^ 『関八州古戦録 改訂』新人物往来社 245頁 「真壁氏幹入道道無に密談して佐竹、多賀谷両家の物主等をも相語らひ」
- ^ 『関八州古戦録 改訂』新人物往来社 60頁 「かかる折節水谷入道全仲治持老父か秘計に依て常州の真壁右衛門太郎氏幹、結城へ一味すへきの由実々申送けれは」
- ^ 『関八州古戦録 改訂』新人物往来社 235頁 「義重殊に懇情を施し、真壁右衛門尉氏幹か女を媒して源太左衛門に娶せ」
- ^ 『関八州古戦録 改訂』新人物往来社 118頁 「氏幹は関東にて鬼真壁と呼ばれし強力のあら武者なれは、樫の木の棒の壱丈弐尺有しを六角に削り、鉄の筋金を渡して鋲を繁く打たるを振廻し」
- ^ 中根正人「戦国期の東関東ー真壁氏と佐竹氏の関係を中心に」戦国史研究会 編「戦国時代の大名と国衆 支配・従属・自立のメカニズム』(戎光祥出版、2018年) ISBN 978-4-86403-308-4 P85-89.
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