小田城の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 03:40 UTC 版)
謙信に出兵を要請した佐竹義昭・真壁氏幹は山王堂の戦いが終わった頃にようやく到着し、敗走する小田勢を追撃して小田城に殺到した。氏治は篭城したが、小田城は平城で防御がさほど強固でなく、大軍に包囲され攻め立てられては持ち堪え切れなかった。北条の後詰もなく、氏治は夜ひそかに数十騎とともに藤沢城へ逃れた。氏治に代わって戦い指揮を執った老臣・信太治房は最後まで城内で戦い自害。小田城は落城した。
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