上杉謙信との同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/17 23:39 UTC 版)
その後、家臣の芳賀高定の外交手腕によって佐竹義昭の娘南呂院を妻に迎えており、強固な同盟関係が築かれた。広綱は上杉謙信と同盟を結んで関東制覇を目指す後北条氏やその北条氏よりの諸大名と徹底して対立する。永禄7年(1564年)には上杉謙信、佐竹義重と共に北条方の小田城主・小田氏治を小田城の戦いで敗走させている。
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