佐竹義重(さたけ よししげ) 1547~1612
◇父:佐竹義昭 室:伊達晴宗女、那須政資女 子:佐竹義宣、蘆名義広、岩城貞隆、多賀谷宣家(岩城宣隆)、北彦次郎義直(義継)
16歳で常陸・佐竹氏当主となる。相模・北条氏との戦いで、敵7人を一時に斬り捨てたことから、"鬼義重"、"板東太郎"の異名で呼ばれる。常陸・小田氏治を圧倒して、窮地に追いやる。また、婚姻関係を元に、宇都宮氏、結城氏と組んで、相模・北条氏に対抗し、度々争った。一方、磐城・蘆名氏を援けて、陸前・伊達氏とも度々争っている。豊臣秀吉の小田原攻めでは、かねてから組んでいた秀吉に従い、奥州平定にも協力。関ヶ原の合戦の際は、子義宣を説得して家康方についたが、秋田に減封された。66歳で没、落馬の際の怪我が元とも。全然関係ないけど、かなり暑がりだったみたい。
佐竹義重
佐竹義重(さたけ よししげ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 02:04 UTC 版)
「雪の峠・剣の舞」の記事における「佐竹義重(さたけ よししげ)」の解説
佐竹家先代当主。かつては戦場で鬼と呼ばれたほどの猛将だったが、今ではすっかり丸くなり、義宣の新政を黙って見守っている。梶原が挙げた金沢案を支持する老臣たちに突き上げられた義宣を庇うため、金沢派の撹乱を狙って横手案を出すが、却って窪田案の対抗馬として梶原に利用されてしまう。また、家中が横手案で一致した後は、窪田案へ引き戻そうとする内膳により、徳川から嫌われる汚れ役を演じさせられる。
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