佐竹義郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/19 17:15 UTC 版)
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佐竹 義郷(さたけ よしさと、生没年不詳)は、室町時代の武将。常陸国に勢力を持つ佐竹氏の一門、山入氏。上総介。佐竹与義の長男。弟に祐義。子に義信。
生涯
山入氏は常陸守護佐竹氏の一族であるが、宗家との折り合いが悪く抗争に明け暮れており、応永29年(1422年)に父の与義は宗家の佐竹義人に攻められ死亡している。義郷は父の死後に山入氏を継いだが、常陸国内に松平城を築城したこと以外明らかな事跡が確認されておらず、程なくして隠居または死亡したものとみられる。義郷には義信という子がいたが、幼少のためか山入氏の家督は弟の祐義が継承した。
子孫
義郷の孫にあたる久高はその本拠地松平城より松平氏を名乗り、山入氏から離反して宗家側に鞍替えした。久高は山入氏と抗争の中で松平城を追われ、後に戦死した。松平氏は久高の長男康信が継承して高柿城を新たな本拠とし(この時高柿氏を名乗ったとされる)、山入氏滅亡後も佐竹氏宗家の家臣として存続している。なお、高柿氏一族は戦国時代には再び松平姓を名乗っていたが、江戸時代以降は天下を取った徳川氏(三河松平氏出身)を憚り、高柿姓に復している。
関連項目
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