雪の峠・剣の舞とは? わかりやすく解説

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雪の峠・剣の舞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/17 07:43 UTC 版)

雪の峠・剣の舞』(ゆきのとうげ・つるぎのまい)は、岩明均による日本を舞台とした歴史漫画2編からなる中編集。2001年KCデラックス講談社)から単行本が刊行され、2004年に文庫化された。


  1. ^ 史実では、窪田の丘(神明山、三森山)には佐竹氏入部前にも旧領主・秋田氏の家臣の城が小規模ながら存在していた。入部当初は重臣の石塚義辰(大膳)を入れていたため、「大膳屋敷の山」とも呼ばれた。
  2. ^ 秋田市と土崎港町が合併したのは1941年(昭和16年)、都市化が進み市街地が一体化したのは昭和40年代である。
  3. ^ 史実では浪人出身とはいえ出自ははっきりとしており、素性が知れない食いつめ者という作中の設定はフィクションである。
  4. ^ 作中では紹介されていないが、史実では父・太田資正の家督を継いだ弟の太田資武が越前松平家の家臣であるという縁がある。また、梶原は常陸時代に一時期佐竹家を裏切り、北条家についた前科がある。
  5. ^ 作中では川井は当初から家老で、和田・小貫の隠居により首席家老になったとされているが、史実で川井が家老に就任したのは小貫の死後であり、すなわち家老であったのは川井事件までの短期間だけであった。
  6. ^ 史実では和田も内膳と反目し合っており、川井事件の際に内膳暗殺謀議への関与を疑われている。処罰されることはなかったが、謀議の存在を知りながら黙認していたものとされている。
  7. ^ a b 史実では、門から打って出て武田勢を蹴散らしたのは長野業盛であり、上泉伊勢守は小幡上総介の呼びかけに応じて降伏している。
  8. ^ 作中では宗厳に対して文五郎が立ち合っているが、上泉自身や神後が立ち合ったという伝承もある。


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