やぎゅう‐むねよし〔やぎふ‐〕【柳生宗厳】
柳生宗厳
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柳生 宗厳(やぎゅう むねよし/むねとし/そうごん[2]、宗嚴)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。新陰流の兵法家。百官名は但馬守。通称は新介、新左衛門[3]。入道してからは石舟斎(せきしゅうさい)と号した。子に柳生厳勝(柳生利厳の父)、柳生宗矩、柳生宗章ほか。
注釈
- ^ 「獅子の洞入」は富田流には見られず、似た技名が念流の伝書に見られることから、富田流に加えて念流も修行していたという意見もある。
- ^ 柳生家には、この頃の久秀が宗厳以外の家臣に宛てた指示書や三好家の重臣に戦況を報告した書状などが保管されている。これは宗厳が久秀の側近として、これらの久秀の書状を相手へ伝達し、内容と共に久秀の意思を披露したあと持ち帰ったために柳生家で保管されたものと考えられる。[14]
- ^ 長男厳勝の孫で尾張藩に仕えた。尾張柳生二代。
- ^ ただし無刀取りの開眼の時期は諸説あり、『新陰流兵法由来』では信綱が関東に旅立って以降とする。またこの時無刀取りを実証した相手として、『正伝新陰流』は鈴木意伯とし、『玉栄拾遺』では上泉信綱自身とする。
- ^ 書状の中で信長は、宗厳の義昭への忠節を最もと褒め、宗厳から義昭へのお断りの件は自分から言上することを告げ、自分の通路安全のためにも三木という者の女房を早く返すよう奔走するようにと宗厳に命じている。[25]。この信長との連絡の仲介は久秀の家臣結城忠正があたった[26]。
- ^ 尾張藩の史料を編纂した『名古屋市史』では、厳勝は浮田和泉守の小姓となり、400石を得たが、16歳の時の初陣で銃傷を負ったため廃人になり柳生庄に戻ったとある[38]
- ^ この前久の書状は年次不詳だが、高柳光寿は天正6~7年頃のものと推定する。[42]
- ^ 『柳生雑記』ではこれを文禄3年(1594年)のこととするが[50]、文禄3年には秀長は既に死没している。今村嘉夫は『大和柳生一族』で確かな史料はないとしながらも、天正16年とする説を紹介する。[51]
- ^ 柳生松右衛門の毛利家への仕官は慶長6年以降と見られ、慶長10年に毛利家の家臣が輝元に提出した「起請文」や、慶長16年に初代藩主・秀就がお国入りした際に開かれた祝宴の席次に名前が見える。[61]
- ^ 三好康長もしくはその一族の者と見られる[70]
- ^ a b c 尾張柳生三代厳延が書いた『柳生新陰流縁起』では、宗厳より免許皆伝を与えられた者として名が挙げられている[72]。
出典
- ^ a b 史料 柳生新陰流〈上巻〉収録『玉栄拾遺(二)』。該当箇所はp.60
- ^ 今村嘉雄1994 p.49
- ^ a b 寛政譜 1923, p. 915.
- ^ 武術叢書収録『撃剣叢談』寛政2年著。該当箇所はp.165
- ^ a b 今村嘉雄1994 p.44
- ^ 今村嘉雄1994 pp.32-33
- ^ 多聞院日記. 第1巻(巻1-巻11)天文十三年七月。該当箇所はp355
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『所収喜多石見守興能、向井専千代書状』(年次不詳、正月6日付、柳生殿宛)。該当箇所はp.283
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『筒井順慶書状(一)』(年次不詳、5月15日付、柳生美作守宛)。該当箇所はp.278
- ^ 岡田一男、「柳生新陰流源流考」『武道学研究』 1978年 10巻 3号 p.14-20, doi:10.11214/budo1968.10.3_14, 日本武道学会
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『宝来藤政、超昇寺孫八郎、向井専千代書状』(永禄二年、7月10日付、柳生殿宛)。該当箇所はp.284
- ^ 天野忠幸 2018 p.128
- ^ 天野忠幸 2018 p.161
- ^ 天野忠幸 2018 p.162
- ^ 天野忠幸 2018 p.153
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『松永久秀書状(二)』(年次不詳、2月2日付、柳生新介宛)。該当箇所はp.294
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『松永久秀書状(三)』(永禄6年、6月16日付、柳生新介宛)。該当箇所はp.294
- ^ 天野忠幸 2018 p.162、172
- ^ 赤羽根龍夫2017 p.11
- ^ 柳生厳長1957 p.41
- ^ 今村嘉雄1994 pp.61-64
- ^ 天野忠幸 2018 p.206
- ^ 天野忠幸 2018 p.214
- ^ 天野忠幸 2018 pp.208-212
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『織田信長書状(三)』(年次不詳、8月21日付、柳生新左エ門尉宛)。該当箇所はp.289
- ^ 天野忠幸 2018 p.217
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『佐久間信盛書状(一)』(年次不詳、8月18日付、柳生新左エ門尉宛)。該当箇所はp.285
- ^ a b 天野忠幸 2018 p.164
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『三好義継書状(二)』(年次不詳、6月5日付、柳生新左エ門尉宛)。該当箇所はp.282
- ^ 天野忠幸 2018 p.218
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『織田信長書状(二)』(年次不詳、12月1日付、柳生新左エ門尉宛)。該当箇所はp.288
- ^ 天野忠幸 2018 p.220
- ^ 多聞院日記. 第2巻(巻12-巻23)元亀二年八月。該当箇所はp94
- ^ 天野忠幸 2018 p.240
- ^ 天野忠幸 2018 p.245
- ^ 多聞院日記. 第2巻(巻12-巻23)元亀二年八月。該当箇所はp251
- ^ 今村嘉雄1994 p.46
- ^ 名古屋市史人物編 下巻。pp.25-28
- ^ 天野忠幸 2018 p.246
- ^ 今村嘉雄1994 p.45
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『下妻頼興書状』(年次不詳、5月15日付、柳生殿宛)。該当箇所はp.276
- ^ a b 高柳光寿1962 p.166
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『柴田勝家書状』(年次不詳、5月16日付、柳生但馬守宛)。該当箇所はp.292
- ^ 高柳光寿1962 p.167
- ^ 天野忠幸 2018 pp.263-264
- ^ 今村嘉雄1994。p.54
- ^ a b c 月間大和路 ならら 2020年8月号 収録 天野忠幸著『新大和人物史』。該当箇所はp.22
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『近衛前久書状』(年次不詳、正月22日付、上野民部大輔宛)。該当箇所はp.290
- ^ a b c d e 本林義範、「柳生宗厳兵法伝書考 -毛利博物館所蔵資料を中心として-」『論叢アジアの文化と思想』 1995年 4巻 p.27-45, アジアの文化と思想の会
- ^ 今村嘉雄1994 p.50
- ^ 今村嘉雄1994 p.106
- ^ 相川司/伊藤昭2004 p.79
- ^ 史料 柳生新陰流〈上巻〉収録『玉栄拾遺(二)』。該当箇所はp.52
- ^ 今村嘉雄1974 p.73
- ^ 史料 柳生新陰流〈上巻〉収録『玉栄拾遺(二)』。該当箇所はp.59
- ^ 今村嘉雄1994 pp.51-52
- ^ 相川司 2004 p.85
- ^ 『柳生但馬守入道宗厳起請文』(慶長四年三月吉日、安藝中納言殿様宛、毛利博物館蔵)
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『徳川家康書状』(年次不詳、7月29日付、柳生但馬入道宛)。該当箇所はp.309
- ^ 今村嘉雄1994 p.114
- ^ 山口県剣道史 pp.5-7
- ^ 柳生厳長1957 pp.116-124
- ^ 柳生厳長1957 pp.125-127
- ^ 柳生厳長1957 pp.116-131
- ^ 寛政譜 1923, pp. 915–916.
- ^ 寛政譜 1923, p. 916.
- ^ 武術叢書収録『撃剣叢談』寛政2年著。該当箇所はp.187
- ^ 赤羽根大介2010
- ^ 宮本義己・吉田豊編纂『史伝健康長寿の知恵⑤健康への道 養生のすすめ』(第一法規出版、1989年)pp135-158
- ^ 渡辺誠2012 p.72
- ^ 武芸流派大事典 : 増補大改訂pp.855-862
- ^ 史料 柳生新陰流〈下巻〉収録『柳生新陰流縁起』p.387
柳生宗厳(やぎゅう むねよし)
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「SAKON(左近) -戦国風雲録-」の記事における「柳生宗厳(やぎゅう むねよし)」の解説
かつて大和で筒井家と戦い、左近と一騎討ちをした。その後、柳生新陰流を編み出す。そして、その剣を悪用しようとした弟・七郎左衛門を追放する。
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柳生宗厳
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史実では上泉信綱に師事した剣豪。大和の国人であるため、ゲームでは「松永討伐戦」にて松永軍の武将として登場し、単騎駆で撃破すれば合戦後の評定で加入する。主な兵種は刀足軽、武将系統は「猛将」。
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