浅利又七郎とは? わかりやすく解説

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浅利義明

(浅利又七郎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 01:40 UTC 版)

浅利 又七郎義明(あさり またしちろうよしあき、1822年文政5年) - 1894年明治27年)4月16日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代剣術家中西派一刀流第4代・中西子正の次男で、後に浅利義信養子となった。幼名は兜七郎。

生涯

剣術

実父である一刀流中西道場第4代・中西子正と、後に養父となる浅利義信より剣術を学んだ。義明が24歳頃の立合い稽古は週1400回に達し、その間負けることは無かった。義明の稽古振りは、相手に少しでも間合いに入られると「参った。」と言って剣を引いたといわれ、義明の剣風を実見した木下寿徳は、「上げ小手の裏を打つ人は、義明以外に見たことがない。」と、驚嘆している。また、義明の打つ一刀流の形は、「中西派の門弟で受け切る者がいない。」といわれるほど鋭いもので、勝海舟は「義明は、剣道の神様といわれた人だ。この人に掛かったら、どんな人でも手足が縮んで動きができなかった。」といっている。

浅利家入り

義父の浅利義信は中西派一刀流別家であった。弟子の千葉周作に養女と結婚させ道場を継がせたが、周作が組太刀の改変を始めたことから、周作夫婦を離縁した。のちに、義明が中西家より養子に入る。義明は道場と共に小浜藩江戸屋敷の剣術指南役も受け継いだ。

弟子

弟子に一刀正伝無刀流(無刀流)を開いた山岡鉄舟がいる。義明と鉄舟は、三間五間の道場を、所狭しと小半日(三時間余)も戦ったが、勝負がつかない。六尺二寸(190cm)・二十八貫(105kg)という鉄舟が、体当たり突きなどを放つが、42歳の熟練された義明は、竹刀で左右に外したり、諸手突きで寄せ付けない。ついに鉄舟が、鍔迫り合いから足がらみで義明を倒すと、義明が「山岡さん、今の勝負はどうでしたか。」といった。鉄舟は「とうとう、せしめました。拙者の勝ちです。」と胸を張って行ったが、義明が「いや、倒れ際に、片手で打った胴に手応えがあったので、私の勝ちだ。」という。胴を外して見てみると、内側の竹が三本折れていたが、負けん気の鉄舟は、「これは拙者が貧乏で、虫食いの胴を付けていたので、自然と折れたものです。」と屈しないで辞去した。

鉄舟は帰途、義兄の高橋泥舟のところへ寄って、顛末を話すと、泥舟は「鉄っあん、そいつは本物だぜ。」という。鉄舟は「俺も、そう思う。」といって、翌日、非礼を詫びて門人となった。鉄舟は明治天皇侍従として仕えながら、義明を超えるべく剣術やの修行を続けていたが、1880年(明治13年)、忽然として大悟し、義明を招いて立合う。義明は鉄舟に相対すると「もう及ぶところではない」と剣を収め、一刀流の印可を授けた。

晩年

維新後は、駿府藩主・徳川家達の剣術指南役を務めた。その後、鉄舟の斡旋で有栖川宮家の撃剣御用係となり、威仁親王の剣術を指導した。1894年(明治27年)4月16日に亡くなった。

参考文献


浅利又七郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/02 04:40 UTC 版)

北斗の人」の記事における「浅利又七郎」の解説

中西派一刀流剣客で、若狭国小浜藩酒井家江戸屋敷剣術指南役務める。江戸で十指数えられるほどの剣豪自身松戸開いた道場入門してきた周作天分見出し、姪のお美耶と娶せて養子迎え自家の跡を継がせようとした

※この「浅利又七郎」の解説は、「北斗の人」の解説の一部です。
「浅利又七郎」を含む「北斗の人」の記事については、「北斗の人」の概要を参照ください。

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