佐竹義隆とは? わかりやすく解説

佐竹義隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 05:47 UTC 版)

 
佐竹義隆/岩城吉隆
天徳寺所蔵
時代 江戸時代前期
生誕 慶長14年1月14日1609年2月18日[1]
死没 寛文11年12月5日1672年1月4日
改名 能化丸[2](幼名)、岩城吉隆、佐竹義隆
別名 平次郎→四郎次郎[2][1]
墓所 秋田市天徳寺
官位 従五位下修理大夫[2]従四位下侍従[2]左近衛少将[2]
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱
信濃中村藩主→出羽亀田藩主→出羽久保田藩
氏族 岩城氏桓武平氏)→佐竹氏清和源氏
父母 岩城貞隆相馬義胤の娘[2]・慶雲院月庭清心[1]
養父:佐竹義宣
兄弟 佐竹義直室[2]義隆、天教院[2]
正室光聚院
側室:隆清院、永昌院
義寘義処、義慰、義長、亀子
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佐竹 義隆(さたけ よしたか)は、江戸時代前期の大名出羽国久保田藩の第2代藩主官位従四位下侍従左近衛少将佐竹氏第20代当主。

生涯

慶長4年(1609年)、佐竹義重の三男・岩城貞隆の長男として誕生。

元和6年(1620年)、貞隆の死去により家督を相続し、遺領である信濃国中村1万石を継いだ[3]。この時は岩城吉隆と名乗っている。元和8年(1622年)、出羽由利郡内で1万石の加増を受けた。元和9年(1623年)11月、中村の領地を収公、由利郡に替地を与えられた[4]。それに伴い由利郡亀田村に陣屋を移転した。寛永元年(1624年)12月29日、従五位下・修理大夫に叙任した。

寛永3年(1626年)4月2日、佐竹氏宗家の家督を継ぐ予定であった叔父・佐竹義直が廃嫡されたため、伯父で出羽久保田藩主・佐竹義宣の養子となり佐竹義隆と名乗る[5][6]。同年4月27日徳川秀忠家光父子に御目見した。同年8月29日、従四位下・侍従に昇進する。寛永4年(1627年)9月16日、秀忠に招かれ鍋島勝茂京極高広藤堂高次らと共に、江戸城西ノ丸にて口切の茶会に参加した[7]

寛永7年(1630年)11月、幕府からなかなか隠居を許可されない養父・義宣は、義隆に対して部屋住料5万石を与えようとするものの、従来のままで構わないとして辞退する。寛永10年(1633年)2月26日、義宣の死去により家督を相続する[8]。同年5月8日、藩主として初めて帰国の許可を得る[9]寛文6年(1666年)12月28日、左近衛少将に昇進する。

寛文11年(1671年)12月5日、久保田城にて死去。享年63。

系譜

  • 父:岩城貞隆(1583-1620)
  • 母:慶雲院月庭清心、桂雲院月庭清心大姉[10] - 相馬義胤の娘
  • 養父:佐竹義宣(1570-1633)
  • 正室:光聚院(1620-1684) - 寿流姫、佐竹義章の娘
    • 次男:佐竹義処(1637-1703)
    • 三男:千松(1639-1639)
    • 次女:桃影童女(1641-1651)
    • 四男:佐竹義慰(1645-1673)
    • 五男:佐竹義長(1655-1741)
  • 側室:隆清院(萬)(1607-1688) - 多羅尾氏
  • 側室:永昌院(千)

偏諱を受けた人物

義隆時代

脚注

  1. ^ a b c 『岩城家譜』
  2. ^ a b c d e f g h 『寛政重修諸家譜』
  3. ^ 大日本史料』第12編之34 521頁
  4. ^ 『史料綜覧』第12編之916 57頁
  5. ^ 『史料綜覧』第12編之916 117頁
  6. ^ 岩城氏の家督は叔父・岩城宣隆が継いでいる。
  7. ^ 『史料綜覧』第12編之916 158頁
  8. ^ 『史料綜覧』第12編之917 4頁
  9. ^ 『史料綜覧』第12編之917 93頁
  10. ^ 『奥相茶話記』

出典

  • 『羽後亀田 岩城家譜』
  • 寛政重修諸家譜』(五百十二 岩城)
  • 『奥相茶話記』
  • 『佐竹秋田家譜』




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