佐竹義休とは? わかりやすく解説

佐竹義休

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 06:41 UTC 版)

佐竹 義休(さたけ よしやす、享保17年5月14日1732年6月6日) - 寛政2年9月13日1790年10月20日[1])は、佐竹氏一門の佐竹西家13代当主。久保田藩大館第7代所預。

父は西家佐竹義村。母は石塚義敬の娘。正室は石塚義陳の娘。子は佐竹義種。幼名は長菊、元千代。通称は右膳、丹後。は義和、義卓、義弦、義休。

経歴

享保17年(1732年)、西家当主佐竹義村の子として生まれる。大館城代として藩主佐竹義敦佐竹義和に仕えた。天明8年(1788年)藩主義和が将軍徳川家斉御目見することとなり、それに同席する一門・家老の席順を大館義良と争い、同席を許されなかった。寛政元年(1789年)、隠居して家督を嫡男義種に譲る。寛政2年(1790年)死去。享年58。

脚注

  1. ^ 『大館市史』第5巻(大館市教育委員会、1990年)p.70




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐竹義休」の関連用語

佐竹義休のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐竹義休のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐竹義休 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS