佐竹義術とは? わかりやすく解説

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佐竹義術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 06:41 UTC 版)

 
佐竹 義術
時代 江戸時代後期
生誕 寛政5年7月2日1793年8月8日[1]
死没 天保12年10月14日1841年11月26日[1]
改名 百太郎(幼名)→義術
別名 又四郎、河内(通称)
戒名 慈徳院殿俊山良英
主君 佐竹義厚
出羽国久保田藩角館所預
氏族 佐竹北家
父母 父:佐竹義文、母:戸村義敬の長女
正室:佐竹義恭の娘(佐竹義純の姉または妹)
於庫多賀谷厚孝正室)、武子(佐竹義茂正室)、義陳
養子:義許 (多賀谷厚孝の子)
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佐竹 義術(さたけ よしやす)は、佐竹氏一門の佐竹北家第15代当主。佐竹北家角館第8代所預。

生涯

寛政5年(1793年)、佐竹義文の子として生まれる。文政7年(1824年)、藩主佐竹義厚将軍徳川家斉に拝謁する際に同席する。文政8年(1825年)、父の隠居により家督を相続し、角館城代となる。天保5年(1834年)、北浦一揆が発生すると、自ら一揆勢と面談して取り鎮めた。天保7年(1837年)、嫡男の義陳(よしのぶ)が17歳で早世する。天保12年(1841年)死去。家督は外孫(長女の長男)で多賀谷厚孝の長子である義許が養子となって相続した。

脚注

  1. ^ a b 『新編佐竹氏系図』(加賀谷書店、1973年)p.144

参考文献

  • 林正崇『図説・角館城下町の歴史』無明舎出版、1982年



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