佐竹義憲とは? わかりやすく解説

佐竹義憲(さたけ よしのり) 1570~????

○又七郎 左衛門督
◇父:佐竹左衛門督義斯 子:小野岡義盛
 常陸佐竹氏一族当主義重の3男貞隆の岩城氏襲封の際にはこれに従い岩城氏家政執行検地実施している。佐竹氏秋田転封際し、これに従い移った

佐竹義憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 06:32 UTC 版)

佐竹 義憲(さたけ よしのり、元亀元年(1570年) - 慶長4年4月20日1599年6月12日)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将佐竹北家第5代当主。佐竹義斯の嫡男。母は額田下野守従通の娘。通称は又七郎、左衛門督。北義憲とも。妻は武茂氏。

佐竹義久の後を継いで奥州方面の軍権を任された。また、佐竹義重の三男・岩城貞隆の補佐役であった岡本顕逸が病死すると、天正19年(1591年)には貞隆の新たな補佐役として岩城氏の政務を取り仕切り、検地などを行なったという。慶長4年(1599年)、父・義斯の死よりわずか2日後に死去。享年30。法名、傑山大英。嫡男の義廉(よしかど)が跡を継いだ。

梅津憲忠と親交があり、憲忠に「憲」の一字を与えている(義憲の嫡男・義廉も、憲忠の子に「廉」の一字を与えて廉忠と名乗らせている)。

参考文献

  • 原武男・編『新編佐竹氏系図』加賀谷書店(1973年)
  • 渡辺喜一・編『新編佐竹七家系図』加賀谷書店(1993年)



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