分部光貞
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分部 光貞(わけべ みつさだ)は、江戸時代後期の大名。近江国大溝藩11代藩主。分部家12代。武家官位は従五位上若狭守。維新後は知藩事。
注釈
出典
- ^ a b c d e f “分部光貞”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年1月7日閲覧。
- ^ a b c d 滋賀県立図書館 (回答) (2013年8月1日). “幕末・明治期の儒学者川田剛(甕江)が安政年間に近江の大溝藩に招聘されていた。川田剛招聘の経緯と同藩での活動を知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2022年1月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “大塩ゆかりの地を訪ねて⑥「大塩平八郎門人と藤樹書院」”. 大塩事件研究会. 2022年1月9日閲覧。
- ^ 膽吹覚 2008, p. 51.
- ^ 膽吹覚 2008, pp. 51, 55.
- ^ a b 滋賀県立図書館 (回答) (2011年8月11日). “備中松山藩(板倉侯)の川田甕江の万延元年(1860)の日記を読んでいる中で、近江の大溝藩分部侯世子についての記述があります。……(後略)”. レファレンス協同データベース. 2022年1月7日閲覧。
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