最後の大溝藩知事
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文久2年11月3日(1862年12月23日)、11代藩主・分部光貞の次男として誕生した。 明治3年4月25日(1870年5月25日)、父・光貞の死去により9歳で家督を相続する。4月28日(5月28日)、従五位を授けられる(後に従四位に昇進)。相続の時点で既に版籍奉還後であり、相続から4日後の4月29日(5月29日)に大溝藩知事に就任するが、大溝藩の財政は負債が年収の数倍に達し、極めて悪化していた。明治4年6月23日(1871年8月9日)、廃藩置県に先立ち廃藩願いを受理されて知藩事免職となり、大溝藩は大津県に編入される。なお、狭山藩(北条家)や鞠山藩(酒井家)といった小藩も財政悪化によって廃藩置県以前に廃藩を行っている。
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