最後の失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 05:47 UTC 版)
民国11年(1922年)3月、唐継尭は部下の竜雲らの支援を得て雲南へ帰還し、顧品珍を倒して復権した。なお、この年には、東陸大学(今の雲南大学の前身)を創立している。 その後も、唐継尭は他省への進攻を繰り返したが、やはり失敗を続け、省財政を逼迫させる。しかも、孫文死後、蔣介石らが指導者となった中国国民党の北伐には与さず、雲南省で民治党を組織して、独自勢力の維持に固執した。その結果、唐継尭は民国16年(1927年)2月6日に、部下の軍長である竜雲、胡若愚らのクーデタに遭い失脚し(「2・6政変」)、雲南省務委員会総裁という名目だけの地位に落とされ、軟禁された。 同年5月23日、唐継尭は昆明で病死した。享年45(満43歳)。唐の墓は、円通動物園(昆明市)に所在している。
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