中江藤樹とは? わかりやすく解説

なかえ‐とうじゅ【中江藤樹】

読み方:なかえとうじゅ

[1608〜1648]江戸前期儒学者近江(おうみ)の人。名は原。字(あざな)は惟命。日本陽明学派の祖。初め朱子学修め、のち、陽明学首唱して近江聖人よばれた熊沢蕃山・淵岡山(ふちこうざん)はその高弟。著「鑑草」「翁問答」など。


なかえとうじゅ 【中江藤樹】

江戸初期儒学者日本の陽明学派の祖。名は原。近江の人。初め朱子学修め伊予大洲藩仕え、のち故郷帰り王陽明致良知説を唱道近江聖人呼ばれた門人熊沢蕃山らがいる。著『孝経啓蒙』『翁問答』『鑑草』など。清貧の中で求道的生活をした高徳人として知られ内村鑑三日本史上最も理想的な教育者として彼を挙げた。(一六〇八~四八

中江藤樹

読み方なかえ とうじゅ

江戸前期儒者日本陽明学の祖。近江生。名は原、字は惟命、別号に嘿軒・顧軒等。伊予大洲候に仕え、のち故郷講説する。世に近江聖人称せられる。慶安元年(1648)歿、41才。

中江藤樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 08:33 UTC 版)

中江 藤樹(なかえ とうじゅ、1608年4月21日慶長13年3月7日) - 1648年10月11日慶安元年8月25日))は、近江国滋賀県)出身の江戸時代初期の陽明学者。近江聖人と称えられた。は原(はじめ)、は惟命(これなが)、通称は与右衛門、藤樹と号した[注釈 1]


注釈

  1. ^ 別号に嘿軒(もくけん)、顧軒(こけん)[1]
  2. ^ 少年時代の藤樹については本人も言及していないが、後世の記録によれば、近所の子どもたちと遊ぶときもいつも物静かで、他の子のように騒ぎまわることはなかったという[2]
  3. ^ 亡くなる半年前に藤樹書院を新築した。

出典

  1. ^ 「先哲叢談/原念斎・漢学者伝記集成」竹林貫一編
  2. ^ 本間・越田(2014)p.101
  3. ^ a b 本間・越田(2014)pp.100-101
  4. ^ 渋沢栄一と藤樹神社 高島市、2024年3月7日閲覧。
  5. ^ 創立100年を迎えた藤樹神社〜創立に関わった偉人たち〜 高島市、2024年3月7日閲覧。
  6. ^ 『近江聖人中江藤樹 散策マップ』高島市教育委員会事務局 社会教育課


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