山内氏篤とは? わかりやすく解説

山内氏篤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/20 00:28 UTC 版)

 
山内氏篤
時代 江戸時代中期
生誕 享保9年2月7日1724年3月2日
死没 天明7年6月4日1787年7月18日
改名 千之助(幼名)→氏篤
別名 通称:源蔵
主君 山内豊敷豊雍
土佐藩
氏族 宿毛山内家
父母 父:山内晴氏、養父:山内郷俊
正室:山内弘芳養女
氏益、房(山内保氏正室)
養子:保氏(深尾苞実三男)
テンプレートを表示

山内 氏篤(やまうち うじあつ)は、江戸時代中期の土佐藩の重臣。7代宿毛領主。

略歴

享保9年(1724年)、土佐藩奉行職、5代宿毛領主山内晴氏の長男として高知にて誕生した。同年9月に父が急死し、まだ幼児のため、叔父・郷俊が家督を相続、その養嗣子となった。

寛延元年(1748年)、郷俊が蟄居を命じられ隠居することとなり、家督と知行6800石を相続し、宿毛7代領主となる。宝暦5年(1755年)、8代藩主・山内豊敷より奉行職に任じられる。宝暦12年(1762年)、宿毛領内に琉球の船が漂着し、藩命で取扱いを命じらる。幕府との交渉の末、薩摩藩に船を引き渡す。明和9年(1772年)、嫡男の氏益が病死する。安永2年(1774年)、深尾苞実の三男・保氏を婿養子とする。

天明元年(1781年)、病のため職を辞す。天明6年(1786年)、隠居して家督を保氏に譲る。天明7年(1787年)、死去。享年64。

系譜

出典





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山内氏篤」の関連用語

山内氏篤のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山内氏篤のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山内氏篤 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS