中井甃庵とは? わかりやすく解説

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なかい‐しゅうあん〔なかゐシウアン〕【中井甃庵】

読み方:なかいしゅうあん

[1693〜1758]江戸中期儒学者播磨(はりま)の人。名は誠之。大坂出て三宅石庵朱子学学び懐徳堂設立。著「不問語」「五孝子伝」など。


中井甃庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 02:14 UTC 版)

中井 甃庵(なかい しゅうあん、元禄6年9月29日1693年10月29日) - 宝暦8年6月17日1758年7月21日))は江戸時代中期の儒学者。大坂の有力町人らの協力で漢学塾懐徳堂を創立、三宅石庵を学主に迎える。のち江戸幕府公認の学問所となり、懐徳堂二代学主となる。幼名は四郎、通称は忠蔵、名は誠之(さねゆき)、字は叔貴。諡号は貽範先生。贈正五位


  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.43


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