中井履軒とは? わかりやすく解説

なかい‐りけん〔なかゐ‐〕【中井履軒】

読み方:なかいりけん

[1732〜1817江戸中期儒学者大坂の人。名は積徳。甃庵(しゅうあん)の次男。兄竹山とともに五井蘭洲学び折衷主義的で自由な学風樹立した。著「七経逢原」「年成録」など。


なかいりけん 【中井履軒】

江戸後期儒学者竹山の弟。名は積徳。著『七経逢言』他。儒教倫理日本精神的風土適合させた。山片蟠桃竹山・履軒兄弟弟子。(一七三二一八一七

中井履軒

読み方なかい りけん

江戸後期儒者大坂生。儒者中井甃庵次男竹山の弟。名は積徳、字を処叔、通称は徳二。兄竹山と共に父の設立した懐徳堂五井蘭洲朱子学学びその学説には独特の見解うちたてる所があった。竹山懐徳堂経営助けと共に私塾哉館を開く。文化14年1817)歿、86才。

中井履軒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/04 04:27 UTC 版)

中井 履軒(なかい りけん、享保17年5月26日1732年6月18日) - 文化14年2月15日1817年4月1日))は、江戸時代中・後期の儒学者折衷学派懐徳堂学派に属する。は積徳、は処叔(しょしゅく)、通称は徳二、別号は幽人。

中井甃庵の次男として生まれ、五井蘭洲朱子学を学び、兄中井竹山とともに大坂の学問所懐徳堂の全盛期を支え、懐徳堂学派で最大の学問的業績を残した。大正3年(1914年)、従四位を追贈された[1]

人物

兄の竹山とともに江戸後期の上方を代表する学者だった。懐徳堂の五代学主に名目上就くが、その経営にはあまり積極的でなく、別に私塾水哉館を創設し、そこで学究としてさらに独自の研究を行った。彼の息子に後に水哉館を継いだ中井柚園がいる。また、山片蟠桃にも大きな影響を与えた。

「履軒」という号は『周易』の語に因んだものである。『周易』「履」の九二の辞に、「履道坦坦、幽人貞吉(道を履むこと坦坦たり。幽人貞にして吉)」とあり、その象伝に「幽人貞吉、中不自亂也(幽人貞吉とは、中自から乱れざるなり)」と説いている。これは、正しい道を坦々と履んで野に隠れている人であれば、その心中が穏やかで欲によって乱されることがないから、正しくて吉であるという意味を表している。

学問

経学者として古典の注釈を行い、『論語雕題』『七経雕題』『七経雕題略』などを著わした。これらは『七経逢原』全三十三巻として集大成された。また『中庸逢原』において『中庸』にとりわけ高い評価を与えた。彼の書物の題名に頻出する「雕題」とは、先行する優れた書物の欄外に注釈を記すことを意味しており、のちにそれらの注釈を集めて独自の思想に大成したが、それが彼の学問の基本的な方法論であった。

経学だけでなく、天文学などの自然科学にも通じていた。西洋天文学を本格的に学んだ人物である麻田剛立を寄寓させ、彼との交流から多くを学んだ。また、明末清初游子六による西洋天文学の概説書『天経或問』を読み、同書を解説した『天経或問雕題』を著し、天体図も作成した。天文学説としては、ティコ・ブラーエ宇宙モデルを支持した。

天文学以外では、博物図譜『左九羅(さくら)帖』や、解剖図『越俎弄筆』、顕微鏡観察記録『顕微鏡記』も残している。さらには反古紙を使って古代中国の衣服「深衣」を復元作製し、『深衣図解』を著すなどした。

その他、自らを架空の理想国家「華胥国(かしょこく)」のに擬し、国家の統治のあり方を論じた『華胥国物語』などの著作もある。懐徳堂文人の特色とされる合理的・近代的な学風は、主にこの履軒によって確立されたと言える。

著述

  • 『華胥国物語』
  • 『四茅議』(恤刑茅議・均田茅議・攘斥茅議・浚河茅議)
  • 『通語』
  • 『有間星』
  • 『遺草合巻』
  • 『越俎弄筆』- 湯城吉信「『越俎弄筆』の構成と内容」(『中井履軒の科学思想―その暦学・時法・解剖学』(平成18・19年度科学研究費補助金研究成果報告書、2008年)参照。
  • 『華胥国新暦』- 湯城吉信「中井履軒の暦法と時法―その『華胥国暦』を読む(『中国研究集刊』43号、2007年)参照。
  • 『顕微鏡記』
  • 『史記雕題』
  • 『中庸錯簡説』
  • 『中庸懐徳堂定本』
  • 『中庸断』
  • 『中庸雕題』
  • 『中庸雕題略』
  • 『中庸天楽楼定本』
  • 『中庸逢原』
  • 『詩雕題』
  • 『毛詩雕題附言』
  • 『論語雕題』
  • 『論語雕題略』
  • 『論語逢原』- 湯城吉信「中井履軒《論語逢原》的特徴―多用比喩的具體解釈」(『國際漢學論叢』 5輯、2016年)参照。
  • 『荘子雕題』- 湯城吉信「中井履軒の老荘観」(『中国研究集刊』46号、2008年)参照。
  • 『孟子雕題』
  • 『孟子雕題略』
  • 『非物継声篇』- 湯城吉信「中井履軒『非物継声篇』の成立について 」(『中国研究集刊 』49号、2009年)参照。
  • 『洛汭奚嚢』- 湯城吉信「『洛汭奚嚢』―中井履軒の京都行」(『懐徳堂センター報』 2004、2004年)参照。

伝記文献

脚注

  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.31

参考文献

関連項目




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