叶坊浄全
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/13 14:15 UTC 版)
叶坊の祖は浄全という。『木部氏系図』によれば、武州の生まれで元の名前は熊谷小四郎という。幼少のころ戦で身よりをなくし、鎌倉の権現堂(修験松本家)の叔母を頼る。叔父の指導で修験となって諸国を廻り、41歳で三河に辿り着いた。占いと祈祷に長じたことから徳川家康に招かれ、永禄5年(1562年)から祈祷者となる。 諸国の事情に通じており、奥三河、遠江の豪族の調略の使者となる。元亀元年(1570年)には上杉謙信との同盟の使者となり、史料に「権現堂」「叶」の名が残る。天正4年(1576年)、徳川家が秋葉山周辺の地頭であった犬居城の天野氏を打ち破るとき、その道案内をした功績で秋葉寺の別当に任ぜられる。
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